不可能と言われた国産時計を復活させたKnot(ノット)の腕時計。さまざまなタイプのベルトを組み合わせることができる(写真:生江ゆかり)

「住みたい街ナンバーワン」の常連、東京・吉祥寺。ここに、日本のもの作りの粋を集めた時計メーカーがあることをご存じだろうか。「Knot(ノット)」。高性能の時計本体と、おしゃれなベルトを自由に店でカスタムできる。しかも、時計本体からベルトまで、国産の高性能の部品や素材にこだわる。

 生産拠点が中国にシフトし、日本の時計の生産拠点が壊滅していた2013年──。かつて、海外ブランド時計を輸入して大儲けをしていた遠藤弘満社長は、突然、オーナーからクビを宣告される。

「ならば、自分のブランドを立ち上げる」

 そして、生まれ育った武蔵野の地を彷徨いながら、日本の地方にある伝統工芸を集めて、「メード・イン・ジャパン」で2万円ほどの時計を作り出した。小さな吉祥寺の店はインスタなどSNSで拡散し、若者を中心に静かな話題と支持を集め、累計35万本を販売している。

 なぜ、こんな離れ業ができたのか? なぜ、高級レザーや京都組紐など、職人技の粋を集めた最高級素材を使って、低価格を実現できたのか。生産が中国にシフトした中で、どうやって国産時計を復活させたのか──。

 こうした謎を解くため、創業者の遠藤氏に密着取材して、その半生を描いた『つなぐ時計』。その著者である作家・ジャーナリストの金田信一郎氏が、開発秘話や国内生産の重要性を遠藤氏に聞いた。

(動画制作:赤川修也)

肥満や薄毛などのお悩み解消品で稼いだ日々

金田信一郎氏(以下、金田):日本にはセイコーやシチズンのような時計メーカーが存在しますが、「日本らしさ」を世界に伝えているかというと、どうも個性が感じられない。その中で、ノットは全国に点在する技術や伝統工芸をつなぎ、新たな国産ブランドを生み出しました。しかも、東京のはずれの吉祥寺で。

 ここ20~30年で、モノ作りは中国に移り、日本の中小製造業の多くが廃業してしまいました。「日本製の時計」って、作りたくても作れない。そんな状況があったのに、なぜわざわざ国産の時計ブランドをつくろうと思ったんですか。

遠藤弘満(えんどう・ひろみつ) Knot社長。通信販売会社のバイヤーを経て、2003年に輸入商社を設立。05年にデンマークの時計ブランド「スカーゲン」の日本総代理店に。12年に「スカーゲン」の輸入販売権を失い、社長解任。14年にKnotを設立。15年、東京・吉祥寺に1号店を開店した(写真:生江ゆかり)

遠藤弘満氏(以下、遠藤):一番の理由は、他人のふんどしでビジネスをして成功しても、いつかは取り上げられてしまう、ということです。誰かが作ったブランド時計を、頭を下げて販売させてもらって儲けても、うまくいったら「自分でやるよ」と取り上げられてしまう。だったら、作って売るまで、すべて自分で手がけないとダメだな思ったんです。

 それは、ノットを始める前に、散々、痛い目に遭ったからなんですね。

 私は若い頃、通販会社でバイヤーをやっていました。まだインターネットがない時代でしたので、世界中の展示会に出向き、日本に売っていない海外製品を探し出し、ブランドや作り手の物語を通販カタログに載せて売りまくっていたんです。

 子供の頃からモノオタクだったので、「いいモノ」を見抜く目はありました。革製品やサングラス、ジッポーライターなど、男性向けの商品は得意でしたね。その中でも、時計は別格にすごい商品なんですよ。世界最先端の技術を、小さな本体の中に詰め込んでいる。しかも、身につけるので、見せびらかすこともできます。

 ただ、すでに世界の主な時計は日本市場に進出している。参入障壁も高いわけです。そこで、私は仕方なく、肥満や薄毛、水虫などの「お悩み解消品」を扱って儲けながら、一方で個人的に好きな時計などのグッズを買い付けていました。