自分と同スペックのくせに諦めていない奴を見よ
「部屋とお金と私」全3回連載の2回目。
今回のテーマは「『何で私はどこかの財閥の娘/息子じゃないの?』などといつまでもウジウジ考えてしまう働きたくない願望について」である。
他の記事に比べ、私に与えられるテーマのレベルが低すぎる気がするのは気のせいか。
どうやったら金が貯められるか以前に、現状を嘆くばかりで、金を貯めたいという意志を持つところにすら到達していない。
おそらく「財閥」も意味を知らずに言っていると思う。
これは長い道のりになりそうだ。人生100年では足りないかもしれない。
しかし、何故自分は財閥の娘じゃないのかという嘆きは「自分は財閥の娘じゃないから何やってもダメ」という「諦め」でもある。
「諦め」というのは、貯蓄のみならず、全てに対するやる気をなくさせる。
「どうせ自分の顔は石原さとみじゃないし」と諦めてしまったら、化粧もダイエットもする気が起きないのと同じだ。
「この泥団子の表面をピカピカに磨いてくれ」と言われてやる気が出せるのは小学2年生の男子までである。ちなみに女子は幼稚園のほし組時点で興味を失う。
貯金だって2000万貯めろと言われて「無理」と思った時点でもはや1円も貯めたくないし、なんだったら、19430円ぐらい使いたくなる。
具体的にはソシャゲのガチャを100連ぐらいしたい。
しかし、本人の問題ではなくそう言った「諦め」が発生しやすい世の中であることも否めない。
顔が石原さとみではなく、どちらかというと裕次郎(晩年)なのが本人のせいでないように、生まれた時から人間には格差がある。
経済的に恵まれない環境に生まれてきたことで、学習機会、体験機会に大きなハンデがつき、そのまま進学や、就職でも差がつくことになる。
結局低収入家庭の家に生まれた子供は低賃金の仕事にしかつくことが出来ず、また低収入家庭を作る、もしくは家庭を持つことすらできない、というループになる。
現在の世の中の仕組みでは、自力でこの格差ループから抜け出すことは容易ではなく、早い段階で「諦め」を感じてしまう子どもも少なくないという。
「誰でも顔面をさとみにするチャンス」を与えるのは無理でも「誰でもまともに進学、就職できるチャンス」がある社会でなければ、この「諦めムード」を根本的に変えることはできない。
しかし、「ひたすら自らの不遇を嘆いたり、諦めたままでいてもしょうがない」というのも事実である。
真の意味で諦めて、「5階以上の窓からアイキャンフライするするガッツがある」というなら別だが、「諦める以外は何もするつもりがない」というならそれは時間の無駄であり、早い段階で困ったことになってしまう。
よって、寿命までダラダラ生きる予定ならこの「諦め状態」からは早く抜けたほうがいい。
諦めからさえ脱出できれば、どれだけ悲惨な状況でも「宗教入信」など新しいアクションを起こす気になれるからだ。