韓国と北朝鮮を隔てる軍事境界線を挟んで握手を交わす韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(2018年4月28日、写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

(岩田 太郎:在米ジャーナリスト)

 南北軍事境界線付近でパラグライダー中に思わぬ事故に巻き込まれ、北朝鮮に不時着してしまった韓国の財閥令嬢が北朝鮮の堅物エリート軍人と出会い、やがて愛が芽生えるというアクション・ロマンスコメディの「愛の不時着」が世界的な話題になっている。よく作り込まれた作品であり、韓国内外の視聴者を感動させ、好評を博することは驚きに値しない。

 第13話で令嬢の尹世理(ユン・セリ)が、恋に落ちた朝鮮人民軍の中隊長である李正赫(リ・ジョンヒョク)大尉に対して、南北朝鮮の間の「悲しい歴史」を語るシーンがある。一方で作品中では、南北朝鮮の「渡れない国境を越える」「歴史を超える」「愛憎を超越する」というテーマが貫かれている。

 だが、それは本当に可能なのだろうか。南北朝鮮の憎しみ合いの歴史を振り返りながら考えてみたい。

ネットフリックスの「愛の不時着」公式サイトより
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北朝鮮が韓国の同胞にしてきたこと

 ジャーナリストの中島恵氏は、「愛の不時着」を評して、「突飛な設定でありながら、政治色を抜きにして、胸キュンしたり、笑えたりするところが楽しく、北朝鮮の人々の日常生活が詳細に描かれているというのも、従来はなかったこと」と手放しで絶賛する。

(以下の記述は「愛の不時着」のネタバレを含む。「愛の不時着」をこれから見ようという方はご注意いただきたい)

 確かに、主役の李大尉の仲間である表治秀(ピョ・チス)特務上士が空腹の中、韓国側の尋問を受ける際に「お腹は空いたか」と聞かれ、「大丈夫です。 お腹は空いていません」と答え、ウソ発見器の針が大きく振れるシーンは爆笑ものだし、胸を撃たれて遠のく意識の中で世理が李大尉との出会いを回想し、「100回時計を回しても、あなたに会い、あなたを知り、あなたを愛する。その危険で悲しい選択をすることを、私は知っていたの」と語るシーンは涙なしには見られない。

 一方で、南北朝鮮の歴史をサラリと流してしまう視点こそ、この作品の核心であると言えよう。「愛の不時着」に見られるように北朝鮮の人々に豊かな人間性があることと、国家としての北朝鮮が軍事境界線の南側の同胞に対してどのように振舞ってきたかは別問題である。その仕打ちの歴史に暴虐と差別の一貫性があるならば、なおさらだ。