かつて男性優位だった時代の西洋では、妻を厳しく殴りつけることは「夫の権利」だった。「しかし、ある日」、形式的な服従関係から「あの人なしには生きられぬ」愛が成立していく。西洋史家である阿部謹也氏が独特な視点で、西洋の“愛”の変化を描きだす。(JBpress)
(※)本稿は『西洋中世の愛と人格 「世間」論序説』(阿部謹也著、講談社学術文庫)より一部抜粋・再編集したものです。
愛の情熱は断罪
初期中世から近代に至るまで、結婚は愛とはほとんど無関係のものであった。結婚は家と家の絆であり、家の利害関係によって定められ、利害関係に反すればいつでも解消された。
夫にとって妻は財産の一つに過ぎなかったのである。このような結婚の社会的条件に加えて、教会は性的関係を夫婦の間でも必ずしも望ましいものとはみておらず、子供を生むためにのみ、快感を伴わずに行われるときにのみ認められる、と定めていたから、自分の妻を激しく愛する者は姦淫を犯したとされたのである。
夫婦の性的関係については、より寛容な見方をする者もいるが、いかなる聖職者も認めることができなかったのが、情熱であった。性行為を認めている学者でも、情熱は悪魔の所行として断罪している。情熱は、神に対してのみ向けられるべきものだったからである。
このような男女の関係は、初期中世の文学作品においては、どのように表現されていたのだろうか。シャルルマーニュの娘ベルトと詩人アンジルベールとの愛について、このように伝えられている。
アンジルベールは、ある夜、ライン河畔のロルシュ城のベルトの寝室に忍び込んだ。一夜を共にした翌朝、城を去ろうとすると、あたり一面の雪であった。
アンジルベールは、その朝、自分の陣に帰らなければならなかったが、雪の上に足跡を残さずに帰るにはどうすればいいのか。ベルトは、迷うまもなく、アンジルベールを背負って雪の中を歩いて城外に連れ出した、といわれている。