中国に設置された少女像

「あいちトリエンナーレ」で中止されている企画展「表現の不自由展・その後」の実行委員会が展示の再開を求めた仮処分の審問が9月30日、名古屋地裁で開かれ、展示を再開する方向で和解に到達したとの報道がありました。

 これに先立って9月25日にトリエンナーレ実行委員会は「中間報告」を発表、翌26日に文化庁からの補助金を全額支給しない決定を発表。

 これに対して愛知県の大村秀章知事は即日、法的措置を講じる考えを表明しました。

 まさに県と国との正面対決というべき様相を呈していたところに上記の「和解」。そして10月6~8日を目途に展示再開との報道が出ています。

 この問題に関連して、風呂屋の番台論議の相手は、いいかげんウンザリなのですが、いまだに性懲りもなく「多くの国民が不愉快に思う展示は芸術ではない」といった寝言を目にしました、

 愚にもつかない落書きが、それなりの規模のメディアを含め、大手を振って闊歩するのをただただ呆れて見ています。

エンタメと区別がつかない妄言

 一芸術音楽家として明言するなら、まともな芸術作品の少なく見積もっても半分は鑑賞者を愉快にするようなものではありません。

 不安に思ったり、不快感を感じたり、自分の存在を足元から疑うような作品が、芸術史の最も重要な位置を占めていることを直視されるとよい。

 エンターテインメントと芸術の区別がついていない。

 ひどいのになると「誰か一人が芸術だと思ったら、それで芸術」などという記述まで目にしました。

 お話にもなりませんが、一応最低限の基本常識を補いましょう。