岩手県の一蔵元にすぎなかった株式会社南部美人が、自社の日本酒「南部美人」を世界的なブランドに押し上げた。さらなるグローバル展開を推し進める5代目蔵元・久慈浩介氏は、戦略やマーケティングありきではない「情熱」「心」「志」の重要性を説く。ノンフィクション作家・早坂隆氏の著書『現代の職人 質を極める生き方、働き方』より、そんな全国の匠たちの熱量と、物づくりにかける思いを紹介する。(JBpress)
※本稿は『現代の職人 質を極める生き方、働き方』(早坂隆著、PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。
技よりも「人」が大事
研ぎ澄まされた感覚を持つ職人たちを蔵元として束ねる久慈さんは、「技術が大切なのは当然の上で」と前置きした後、こう話す。
「酒造りにおいて最も大切なのは、結局は『人』なんです。とにかく我が酒蔵では『人』にこだわっています。細かな技術などは腐るほどありますが、それらを操る『人』がきちんとしていなければ駄目だろうと」
「技の凄さよりも『人』。『人』を育てるのが私の仕事です。そういった哲学から、私たちは人事の体制を具体的に改めました」
「昔から南部杜氏は季節派遣の出稼ぎ採用となるのが慣習だったのですが、それを改めて、杜氏を社員として採用するようにしました。そうすることによって、技術の育成と継承を図ったわけです」久慈さんがにこやかな笑みを見せる。
「和」の心が良い酒をつくる
「最も大切にしている言葉は『和醸良酒』ですね。これは『どんなに良い原料、どんなに良い技術を持っていても、それだけでは良い酒はできない。本当の意味で酒造りに重要なのは、造り手たちの和である』という意味の言葉です。『和をもって造ってこそ良い酒ができる』ということですね」
「たとえば、日本で最も高価な原材料を使えば良い酒ができるかと言えばそれは違う。また、天才杜氏が1人いれば良い酒ができるかと言うとそれも違うんです。『和をもって造る酒こそ良い酒である』ということを、昔の人たちは身をもって知っていたのでしょう。私はこの言葉がすべてだと思っています」
日本有数の名酒を生み出す達人が、酒造りに最も大切な言葉として挙げたのは、なんと「和」の精神であった。
我が国で最初に制定された成文法(憲法十七条)は、「以和為貴(和ヲ以テ貴シトナス)」から始まる。これほど日本人の民族性を表す一字は他にないであろう。熟成された南部美人の穏やかな妙味の中には、日本人の伝統的な「和のこころ」が込められていたのである。
思えば、久慈さんも松森さんも、その言葉の端々に「酒造りへの畏怖」を漂わせていた。畏怖の念があるからこそ、そこに謙虚さが生まれる。
独善(どくぜん)や驕慢(きょうまん)、不遜(ふそん)を嫌い、謙虚であることの肝要さを知る者たちが集まった時、初めて生まれ出づるのが「和」の織り成しのように思える。酒とはまさに民族性の鏡であろう。