(花園 祐:ジャーナリスト)

「兄よりすぐれた弟なぞ存在しねぇ!!」

 言わずと知れた漫画『北斗の拳』に登場する北斗四兄弟の三男が世紀末に残した名言の1つです。しかし、この発言をした当人が四男に返り討ちにされるなど、弟が兄を立場や実力で逆転してしまう例は古今東西よくみられます。

 日本の戦国時代においても同様です。江戸時代と比べて長子相続が徹底されていなかったこともあり、存命中の兄を差し置いて弟が家督を継いだ例がいくつか存在します。

 そこで今回は、戦国時代から江戸時代初期にかけて家督を継げなかった有名な大名家の長兄と、その継承の顛末についてご紹介しましょう。

養子ロンダリングされた結城秀康

 戦国時代において、存命中の兄を差し置いて家督を継いだ最も代表的な人物といえば、徳川家2代目将軍の徳川秀忠(1579~1632年)の名が挙がるでしょう。

 秀忠は徳川家の三男でありながら、存命中の次男・秀康を差し置いて1605年に徳川家の家督を継承しています(長男の信康はすでに亡くなっていました)。

 なぜ年長の秀康を差し置いて、秀忠が家督を継ぐこととなったのか。2人の父である家康が秀忠の政治センスを見出したとも言われますが、単純に母親の家格が影響したというのが通説です。

 名家出身だった秀忠の母に対し、秀康の母は地位の低い家の出身でした。そのため、秀康は誕生後もしばらくは家康との対面が許されなかったなど、出生時点から後継者とは目されていなかった節があります。