神事にしきたり、ワカメと絡み合う日本人の食生活

日本の縁深き海藻、その歴史と現在(前篇)

2019.02.08(Fri)漆原 次郎

 ちょうどその頃、戦後の抑留から解かれ帰国した大槻洋四郎というキーパーソンが現れる。1901(明治34)年、宮城県鹿島台村(現・大崎市)で生まれた大槻は、東京帝国大学(現・東京大学)でワカメとコンブの乾燥保存法を研究した後、1929(昭和4)年より中国の関東州庁水産試験場に勤めた。

 そして1932(昭和7)年には、その後のワカメ養殖発展の礎となる「乾燥刺激法」を編み出した。成熟したワカメを陸で乾燥させ、生殖を担う胞子が出てきやすい状態にしてから、海水の入った水槽に戻してやるのだ。これで胞子(遊走子)が大量に放たれ、種糸に着床させられる。そして、この種糸を編みこんだロープを筏から海に沈め、ワカメを効率的に養殖したのである。

 帰国後、大槻はこれらの養殖技術をさらに改良すべく宮城県内で研究し、1955(昭和30)年に日本でのワカメ養殖法を確立させた。いったんは取得した特許も、漁民が養殖で豊かになってほしいという思いから、放棄したという。

 大槻の偉業を端緒に、1960年代には、ワカメの養殖が本格的に普及した。1960年代半ばには、天然ワカメと養殖ワカメの生産量は早くも肩を並べる。

現在行われているワカメ養殖の模式図。浮き玉と重しを使って縄を海中に漂わせ、そこにワカメを付着・成長させる。

 現在では、国産ワカメの95%以上を養殖ものが占めている。養殖という技術革新は、新産地を増やし、柔らかいワカメを実現させ、生産量を増やすなど、さまざまな状況変化をもたらした。長きにわたる日本人とワカメの関わり方を大きく進展させた出来事といってよいだろう。

ワカメをめぐる技術革新は今も続く

 21世紀に入り、ワカメ漁に従事する人たちの高齢化、中国産ワカメの輸入増、さらには東日本大震災による漁場の損傷など、ワカメをめぐってさまざまな課題が現れている。

 そうした中、より効率性よく養殖を行うための研究開発が進んでいる。そのキーワードは「重イオンビーム」や「浮遊回転」といったもの。後篇では、ワカメの価値をさらに高めることにつながる、現代の技術革新に迫ることにしたい。

後篇へつづく)

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