特捜部に残された手段は、この事件の「本線」である特別背任の捜査に着手することしかなかった。そもそも、ルノー・日産・三菱自動車という巨大企業連合のトップを逮捕するのに、形式犯ともいえる「有価証券報告書虚偽記載」だけでは釣り合わない。必ず批判に晒される。だからこそ特捜部は、「有価証券報告書虚偽記載」の先には、特別背任、あるいは業務上横領という「これなら逮捕されても仕方がない」と誰もが納得するような「本線」の事件につなげるつもりがあるものと見られていた。

 つまり有価証券報告書の虚偽記載は、あくまで捜査の入り口で、その後の本線につなげていくための端緒とも言える捜査だ。ところが本線に繋げる前に、容疑者が保釈されてしまえば、そこで捜査が途切れてしまう可能性が大だ。だから特捜部は慌て、急遽、「特別背任での再逮捕」というシナリオを書き上げたのだ。

特別背任の成立に必須の「3つの要件」

 だから、言ってみれば「特別背任で再逮捕」ということは当初から予定していたことなのだが、今回の一件は、単にそのスケジュールが早まっただけ、というわけではない。

 どういうことか。特別背任というのは実は立件がかなり難しい案件になる。有罪に持ち込むためには、3つの構成要件が必要になるのだ。

 1つは、会社における地位・身分だ。つまりは、会社の経営幹部である、ということだ。平社員や外部の第三者が会社に損害を与えても、それは特別背任には当たらない。社長や会長、上層部の役員などの身分が必要なのだ。これについてはゴーン氏は十分に用件を満たしていると言って差し支えない。

 2点目は損害額の確定だ。いくら損害が発生したのか、その金額を確定させなくてはいけないわけだ。算定の仕方にもよるだろうが、これも特捜部にとっては難しくはないだろう。

 そして3点目が、高い地位にある人物が、その行為をすることで、会社に損害が発生することが十分に予見できていた、あるいは会社に損害を与えることを目的としたその行為をした、といった、ある種の「悪意」の存在だ。

 これは何か客観的事実があるわけではない。容疑者の心象風景がどうなっていたか、の問題なので、これを捜査機関が証明するのは非常に難しい。

「そんなことは予想していませんでした。たまたまこれをやったら会社に損害を与えちゃったのです。はじめからそんな意図はありませんでした」と主張されてしまえば、特別背任は成立しないのだ。

 実は、特別背任の公判廷で争われているのはほとんどがこの3番目の部分だ。それほどここを立証するのは難しい。

 特捜部はこれまで、再逮捕を繰り返していく中で、容疑者をある種の絶望感に陥れ、そこから特捜部の意のままの供述を得ていくことで、この難関を乗り越えてきた。

 ところが、今後、勾留延長で「引っ張れるだけ引っ張る」という手法は使えなくなる可能性が高くなった。世論の強い後押しも期待できない。海外からの批判もある。

 それでも特捜部には、特別背任で再逮捕するしか道は残されていなかった。これから、準備期間も十分とは言えない中で、特別背任の立件に臨まなければならない。タフなゴーン氏を相手に、悪意の立証が出来るかどうか。特捜部が置かれた状況を眺めると、極めて厳しいのではないだろうか。

 特捜部が何とか特別背任で起訴し、有罪を立証できれば、「巨悪」を摘発した正義の捜査機関として再び名声を取り戻せるかもしれない。しかし起訴できなかったり有罪を立証できなかったりすれば、国内外から批判の集中砲火を浴び、計り知れないダメージを受けるだろう。ゴーン氏からの反撃があるかもしれない。

 誤算続きなのは日産も一緒だ。

日産CEOが社員宛て文書、ゴーン事件に憤り表明

ゴーン氏の報酬覚書にサインしていたことが明らかになった日産の西川廣人社長(2018年11月19日撮影)。(c)Behrouz MEHRI / AFP 〔AFPBB News

 捜査の入り口となった有価証券報告書虚偽記載では、直近3年分の虚偽記載分に関しては、ゴーン氏が退任後に報酬を受け取ることが書かれた覚書に西川社長がサインしていることも明らかになった。これで「西川社長も共犯ではないか」という声が上がってきた。

 最初から特別背任や横領の容疑で捜査を進めてもらい、「ゴーン氏はとんでもない人物だった」という印象を世の中に広めて、日産の経営トップから引きずり下ろすことを目論んでいた日産も、法人として虚偽記載で起訴され、無傷でいることが難しくなってきた。

 これで特捜部がゴーン氏の特別背任を立件できないことになると、西川社長も日産も大きなしっぺ返しを食らわされる可能性がある。

 ゴーン氏の勾留期限は1月1日にやってくる。そこで勾留延長は認められるのか。そしてゴーン氏の捜査はどのような着地点を見せるのか。2019年年明けから、その行方を世界が凝視している。