(安田 峰俊:ルポライター)
広東省台山市にある「下川島」という島をご存知だろうか? 香港や深圳から南西に直線距離で約150キロ、面積は山手線の内側面積の約1.5倍の100平方キロメートル弱という、そこそこ大きな島である。マカオに隣接する珠海からバスで2~3時間かけて対岸の山咀碼頭に移動、そこから更にフェリーに乗った先・・・という、なかなかアクセスが大変な場所だ。
下川島は周囲の複数の島嶼とともに川島群島を形成しており、東隣りにある上川島はフランシスコ・ザビエルの終焉の地として知られている(晩年のザビエルは中国布教を望んだものの、大陸に上陸できずに寄港先の島で亡くなった)。
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だが、下川島が有名なのはそうした理由からではない。人口2万人程度のこの島は往年、性産業に従事する女性を2000人以上も擁する、中国有数の売春島として名を馳せていたのである。当初は台湾人のおっさんたちにより「開拓」されたため、台湾メディアでは「荒淫の島」の異名で呼ばれていた。
ただし、2013年の習近平政権の成立からしばらくして、下川島の性産業はほぼ壊滅している。今回の記事では中国側の文献や報道から島の歴史を振り返りつつ、「荒淫の島」が興亡したバックグラウンドについて考察してみたい。