こうしたなりふり構わなさが、経済力において米国に劣りながら、冷戦で米国に対抗しえたソ連の強みであった。

パクリB-29で冷戦が本格スタート

 ソ連が核実験を成功させただけでなく、Tu-4によって原爆を米国に落とせるようになった。ソ連が米国を核攻撃できるようになったことを知った米国は、焦ることになる。

 それまで米国本土はアンタッチャブルな存在だった。しかし、ソ連がB-29をパクったことにより、戦争になっても米国本土は攻撃困難という特権的状況が崩れたのだ。

 米国も本土防衛を本気で考えなければならなくなった。お互いを滅ぼし得る核兵器で米ソが脅し合う冷戦本番が始まった。

 もっとも、冷戦はその後も続くが、ソ連版コピーB-29の活躍は長くはなかった。

 戦時中、ハイテク製品だったB-29もそれをパクったTu-4も、1950年代にジェット機の時代になると、すぐに時代遅れになった。

 B-29もTu-4も冷戦初期の極々限られた期間の核戦力だった。

 米国はベトナム戦争で知られたジェット爆撃機「B-52」を作り、ソ連は対抗して「Tu-95」を作った。

 B-52はB-29と同じボーイングの製品で、与圧隔壁などの技術はB-29の開発を通じて獲得したものである。ジェット機とプロペラ機のあいのこのようなTu-95の方は、Tu-4の胴体を拡大したような胴体を持ち胴体径はB-29と同じである。

ロシア空軍のTu-95の編隊。異様に細長い胴体は、B-29と直径が同じである。

 様々な改造を経て、冷戦期間を通じてにらみ合い、現在でも運用されている米ソの主力爆撃機は、なんと両方ともB-29の子孫なのである。

 冷戦中、同じ所に起源を持つ航空機が敵としてにらみ合っていたわけだ。核戦力の主力はミサイルに移っていくので、B-52もTu-95も主役からは外れていくことになる。

 それでも身から出た錆びのようなB-29のコピーやB-29の子孫が、米国に対して、一定期間は破滅をもたらしかねないほどの脅威を及ぼしていたのは事実である。何とも皮肉な話である。