ソ連がB-29をコピーして作った「Tu-4」爆撃機。なりふり構わぬ完全コピーを目指したもので、「B-29」と瓜二つである。

 例年、8月になると悲惨な戦争体験談がメディアを賑わせる。太平洋戦争における民間人の死者の大半は「B-29」による空襲によるものであった。

 日本の市民にとって、戦争に巻き込まれた体験と言えば空襲を受けた体験とほぼイコールで、B-29こそが悲惨な体験をもたらした敵そのものであった。

 戦時中、鬼畜米英という言葉があった。一般市民を地獄に追い込んだB-29の所業に関する限り、鬼畜という言葉はプロパガンダではなく、全くありのままを表現した言葉であった。

 日本の次に米国最大の敵となったソ連は、戦後すぐ米国の航空戦力の象徴のような存在であったB-29をコピーして配備した。そして、皮肉なことに冷戦初期に米国に対抗する核戦力第1号となった。

 米国は、米国本土を核攻撃できるソ連のコピーB-29に手を焼くことになる。ソ連がB-29をコピーしたのは、日本空襲の副産物であった。これは、鬼畜B-29に散々やられた日本としては、多少留飲の下がる話ではないだろうか。

 もっとも、戦後、日本は西側陣営に属したので、ソ連が有利になってしまっては困る。また、戦争末期のソ連参戦にお怒りの方も多かろうから、複雑に感じる方もいらっしゃるかもしれないが・・・。

B-29の本当の意味

 B-29は第2次世界大戦中に実用化された爆撃機で最も強力であった。B-29にほとんど手も足も出ず、散々な目に合わされた日本人にとって、悔しい存在である。

 B-29はこれまで考えられなかった遠距離から飛来し、日本軍機がまともに飛べない高度を、追いつけないスピードで飛び、他の航空機では運べないほどの爆弾を落とすことができた。

 東京大空襲では約300機のB-29が東京を襲ったが、これだけのB-29で東京の人口密集地を一晩で焼き尽くす破壊力があった。

 この時点ですでに恐ろしいが、B-29はさらなる破壊力を持ってしまう。B-29は原爆を積むことができる最初の爆撃機だったのだ。

 長崎に投下された原爆は長さ3.3メートル、直径1.5メートルのサイズがあり、重量は5トン近い。航空機のサイズからすると、小さく見えるが、これを航空機の内部に積み込み投下するのは意外に難しい。

 爆弾を投下した後、バランスを崩さないためには、重心付近に爆弾を搭載する必要がある。しかし、航空機の重心付近には主翼のキャリースルー構造が通るため、大きな空間を作るのは構造的に困難だった。