ただ、一向一揆が他の土一揆と大きく異なる点は、土一揆を起こす被支配階層が「一向宗」の僧侶に率いられていたという点です。一向宗とは、親鸞を開祖とする浄土真宗の一派である「本願寺派」のことを指しています。
ここで強調しておきたいのは、一向宗とは浄土真宗全体を指すのではなく、浄土真宗の本願寺派のみを指している点です。後述しますが、同じ浄土真宗の中でも宗派間で対立があり、実際に信長の一向一揆討伐軍には浄土真宗の別の宗派も援軍として加わっていました。あくまでも一向一揆は、当時の「浄土真宗本願寺派」による軍事勢力とその行動を呼び表す言葉なのです。
以上を踏まえた上で、戦国時代初期に本願寺派の勢力を躍進させた蓮如について追っていきましょう。
蓮如が本願寺派を急拡大させられた理由
本願寺派第8代法主の蓮如は、1415年に京都に生まれました。本願寺派の法主は代々、開祖である親鸞の血を引く子孫が継ぐこととなっているのですが、当時の本願寺は京都・青蓮院の末寺に過ぎず、本寺も荒れ放題で参拝者も呆れて帰ってしまうほどのありさまでした。
そのような困難な時期に法主となった蓮如ですが、彼が法主に就任するや信徒数が急増し、本願寺派は勢力を急速に拡大していきます。
この急拡大の背景に何があったのかというと、蓮如自身のカリスマ性もさることながら、ビッグダディも驚くほどに蓮如が子沢山だったという点が大きいでしょう。蓮如はその生涯においてなんと男子13人、女子14人の合計27人もの子供をもうけています。夫人も「腹の空く間もなく」と評されるほど出産を繰り返すため、早逝することが多く、最終的には5人の女性を娶(めと)っています。この圧倒的な一族の人数が本願寺躍進の礎となります。