ロシアのV.プーチン大統領(65歳)は2017年12月6日、来年3月18日に予定されている大統領選挙に立候補宣言した。
焦点はプーチン候補が当選するかどうかではなく、
①“いかに”勝つか
②誰を首相候補に指名するのか
③次期大統領在任中に誰を自分の後継候補に選任するのか
に移ってきた。本稿では、無名のプーチン氏がロシアの首相・大統領として登場した経緯・時代背景を振り返りながらこの3点を予測し、同時に日本の対露政策を考えてみたい。
プロローグ/プーチン新首相誕生の時代背景
旧ソ連邦は1991年末に解体され、新生ロシア連邦が誕生。B.エリツィン・ロシア共和国大統領が新生ロシア連邦の初代大統領に就任した。
エリツィン初代大統領は1999年8月9日、S.ステパーシン首相を解任して、プーチン連邦保安局(FSB)長官を首相代行に抜擢。その1週間後の16日、プーチン首相代行はロシア下院の過半数の賛成をもって、ロシア首相に選出された。
この時、欧米マスコミの反応は“Putin, Who?”であった。
プーチン氏の座右の銘は“忠誠”。彼はエリツィン大統領に忠誠を誓った。
「私のなすべきことは実行することである。議論することではない。エリツィン大統領は私を任命してくれた。一に忠誠、二に忠誠、三・四がなくて、五に忠誠。ステパーシンは疑問を抱き自問自答したので、途を踏み外した。私はそんなバカなまねはしない」(ロシア「トップシークレット」誌2000年3月号)
ソ連邦は1991年8月のクーデター未遂を経て、同年末に解体された。クレムリンの屋根に翻るソ連邦国旗は12月25日、70年余の歳月の後に姿を消した。赤旗の代わりロシアの3色旗が掲揚され、ここにロシア連邦が誕生した。
圧倒的な国民の支持を得て登場したエリツィン大統領ではあったが、その後の国家資産民営化の過程で誕生したオリガルヒ(新興財閥)に実質実権を奪われ、油価低迷と共に国力は低下。エリツィン大統領はオリガルヒに資金援助を乞い、次第に新興財閥の傀儡政権となっていった。