本流トヨタ方式の土台にある哲学」について、「(その1)人間性尊重」「(その2)諸行無常」「(その3)共存共栄」「(その4)現地現物」という4項目に分けて説明しています。

 企業を取り巻く利害関係者との関係を表す「(その3)共存共栄」は「本流トヨタ方式」の根幹を成す考え方であり、行動規範でもあるので、詳しく説明しています。

 前々回までに、「共存共栄」の圧巻とも言うべき、宿命のライバル、ゼネラル・モーターズ(GM)と、合弁会社NUMMI(New United Motor Manufacturing, Inc.)を設立するところをお話ししました。

 前回からは、NUMMI設立(1984年)から生産が軌道に乗るまでの様々なエピソードをお話しし、本流トヨタ方式の何たるかについて理解していただきたいと考えています。

 NUMMIの立ち上げを指揮したのは、当時専務であった楠兼敬氏です。度々引用させていただいている同氏の著書『挑戦 飛躍』(2004年、中部経済新聞社)には、この辺の詳しい経緯が書かれているので、併せてお読みいただきたいと思います。

 なお、本コラムの内容は、楠氏がトヨタの生産物流部門統括者だった時に、筆者のいた田原工場に来て話してくれたことを主体に書いています。

「意識」を変えるために食堂を変え、制服を変えた

 トヨタ自動車がUAW(全米自動車労働組合)と合意を得た後、NUMMIの職場運営は、旧フリーモント時代とは180度方向転換していきました。

 前回、工場へのモーター設置だけでも、受け取り、運搬、据え付け、配線、機械結合等々の職種があり、お互いの領域を侵さない仕組みになっていたという話をしました。現場の従業員は、100種を超える職種に分かれていたと言います。

 これを、最終的にはトヨタと同じように、「一般」「保全」「型保全」の3種類に統合させました。

 NUMMIは、GMにとってもトヨタにとっても、新時代に向けての実験会社でもありました。挑戦の連続でもあったのです。