本流トヨタ方式の土台にある哲学」について、「(その1)人間性尊重」「(その2)諸行無常」「(その3)共存共栄」「(その4)現地現物」という4項目に分けて説明しています。

 企業を取り巻く利害関係者との関係を表す「(その3)共存共栄」は「本流トヨタ方式」の根幹を成す考え方であり、行動規範でもあるので、詳しく説明しています。

 前回から「共存共栄」の圧巻とも言うべき、宿命のライバル、米ゼネラル・モーターズ(GM)との合弁会社NUMMI設立(1984年)についてお話ししています。

誰もが耳を疑ったトヨタとGMの合弁設立

 1983年2月、GMとトヨタ自動車が合弁会社を作ることが、日米両国でプレス発表されました。その主な内容は下記の通りです。

(1)トヨタ設計の小型車を生産する合弁会社を、折半の出資で設立する。
(2)役員は両社が同数を派遣するが、社長はトヨタから出す。
(3)工場は、カリフォルニア州にある元GMのフリーモント工場を使う。トヨタチャンネル車とGMチャンネル車を年産20万台からつくり始める。
(4)期間は有限で、12年以内とする。

 この突然の発表に、世間はビックリしました。当時、マスコミは「日米自動車戦争」と名付けて、日本車が米国市場を席巻する状況を報道していました。日米政府も協議を重ね、「自主規制」という苦肉の策で、戦線の拡大を抑えているような状況でした。

 この状況の中で、攻め込んでいる日本車勢の大将トヨタと、迎え撃つ側の大将GMが手を組んだのです。両社が合弁会社を作るなどというのは青天の霹靂と言ってもよく、まさに信じられない出来事でした。

トヨタ労組と対極にあった「全米自動車労働組合」

 世の中の関心は、独占禁止法と「全米自動車労働組合(UAW)」の問題にも向けられていました。

 合弁会社の設立は、米国の独禁法に抵触する恐れがありました。しかし、当時のレーガン政権が自由貿易を標榜していたことが追い風となりました。GMは、会社の存続期間を限定することを条件にして米国政府と交渉し、認可の内諾を受けたといいます。

 UAWの存在も大きな問題でした。UAWとは、自動車産業、農業、航空宇宙産業に従事する労働者の組合で、強大な力を持っていました。