また1つ、日本の自動車社会と自動車技術の歴史の一部を担ってきた名前が消える。

 11月半ば、「シビックの歴史に幕。国内販売終了へ」というニュースが流れた。

 本田技研工業の伊東孝紳社長が「(現行モデルで、国内で作り販売している唯一の車型)『シビック・セダン』は、次のフルモデルチェンジでは継続しない、という程度の話」と語ったという記事も見かけたが、一応「ホンダの公式見解」としては(「広報部によれば」と記した記事もある)、現在、国内(鈴鹿工場)で製造されている国内向けシビックはハイブリッドだけになっていて、その生産を2010年いっぱいで終了し、在庫がなくなったところで市販モデルとしての存在は「自然消滅」する、とのこと。

 ただし正式発表ではないようで、同社のウェブサイトの「広報発表」にはまったく言及がない。

 実はスポーツモデルとして欧州(英国スウィンドン工場)で製造されている「シビック・タイプR」が毎年1500~2000台程度、「限定販売」されている。2011年以降も状況を見つつこの輸入を継続する計画があるとすれば、「シビックというモデル名は廃止」とはまだ言えない、ということなのかもしれない。別の記事には、ホンダ側から「シビックの役割は終わった」という言葉が出ているともあった。

 舌足らずの発言が部分的に引用されたであろうことは容易に想像がつくけれども、しかし、ホンダにとってのシビックは「人気も落ちたし、その役割も終わった」と簡単に片づけて済むプロダクツではない。

4輪車ビジネスが瀬戸際にあった70年代初頭のホンダ

 初代シビックが日本の道に送り出されたのは1972年。「大人4人が無理なく乗って移動できる空間を、無駄な要素を削り落として、可能な限り凝縮した形にまとめる」という、乗用車にとって最も基本的な、しかし難しいテーマに取り組んだ創造のプロセスから生み出されたクルマだった。

 ホンダ(本田技術研究所と本田技研工業)は、2輪車の生産から事業を起こし、スポーツカーの「S500/S600/S800」(当初は「S360」として開発スタート)、そのエンジンを共用するトラックの「T360」で4輪車に進出。

 これらは、当時の通産省が進めようとした「特振法(特定産業振興臨時措置法案)」という国策に敢然と反旗を翻す中で生まれた、最初の製品だった。特振法とは、自動車を筆頭に「特定産業」の業界内を整理統合することで競争力強化を狙ったものであり、それが立法化されれば新規参入は認められなくなる、というものだった。