「0.07ミリ、0.06ミリ、0.05ミリまでは、何とか職人技で作ることができていました。とはいえ、100本中5本しか作れないレベルです」

 「また、ものづくりの世界で言われていた『職人の高齢化』問題にも悩まされたました。仕事を担っていた職人さんが病に伏し、引退。職場には仕事を引き継げる人も、同等の技術を持った人もいなかった」

 「これでは立ち行かない」と奮起した河野氏は、職人の感覚だけが頼りだった製造工程のうち、数値化できるものを洗い出し、半自動化を目指した。工具や機材なども社内で製作した。

 誰でも感覚を身につけて操作さえ覚えれば製品を作れる。そのようなシステムを試行錯誤ながらも完成させたのだ。この成果で生まれたのが、職人技だけでは生み出せなかった世界最小の手術用針だった。

今までにない市場を生み出してこそ

マイクロサージャリーの様子(河野製作所HPより)

 しかし、世の中になかった製品を開発しても、それを使える人が存在しない可能性がある。この超微細な針はまさにそうだった。

 河野氏と営業担当が「先生、使ってみてください」と提案をして回り、ようやく1人の医師と出会った。それがきっかけで、この針のリンパ浮腫の治療への採用が広がっていった。

 河野製作所は、創業者が時計メーカー勤務ののちに時計針などの下請け製造業として1949年に設立された。しかし、この業態は競争が激しく、経営が尻窄みになることは見えていた。

針と糸で血管を縫合するイメージ(広島大学病院国際リンパ浮腫治療センター センター長 光嶋勲先生ご提供)

 この頃、臨床医療の外科手術が発展していたことが幸いし、時計針の製造技術を見込まれて手術器具の開発依頼を受けたことをきっかけに医療機器メーカーに転じた。

 最近では、国産品としては初めて体内で分解吸収される縫合糸を市場投入した。この製品も試作品の完成からも平坦な道のりではなかった。

 複数の大学病院の協力を得て安全性などを確かめる治験を必要とし、厚生労働省の承認を得るまでに10年もかかっている。