日本が理不尽な脅威にさらされているにもかかわらず、憲法の制約によって思うような対処の手立てができない、これほど馬鹿げた立憲主義はない。
周辺の核・ミサイル(さらには生物・化学兵器)保有国によって、日本の安全が危機に直面しても、日米同盟に依存せざるを得ない日本は、真に独立国と言えるのだろうか。
米国のジミー・カーター元大統領の特別補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキー氏は、日本を「保護国」(protectorate)と称したが、残念ながら当を得た表現である。
安保法制では野党の反対を押し切って、もはや解釈拡大の余地がないといわれるギリギリまで憲法解釈を拡大し、これ以上は憲法の改正しかないところまできている。
挑発的な北朝鮮の核とミサイル開発
今の北朝鮮の挑発的な行動は、戦争勃発の危険性を排除していないとみられている。この国難に対処するには、国際基準で活動できる自衛隊を認める改憲以外にないというのが国民の1人としての筆者の見解であり、下記に見るように一部の調査結果でもある。
災害大国日本では緊急事態条項や自衛隊の憲法上の位置づけの必要性が若者には認識されていた(日本青年会議所が平成29年4月、18~40歳の一般市民と討論会を開いて調査した結果、討論前には緊急事態条項50.3%、自衛隊の明記62.6%が必要と回答)が、討論後の調査ではそれぞれ68.3%、73.8%に増大している(「産経新聞」平成29年4月28日、「阿比留瑠比の極言御免」)。
そもそも、「国情に即していない法体系」という認識は戦後日本の当初からあり、特に憲法については「制定当時の事情と、これが実施の結果に鑑みて、国情に即した修正を施す必要がある」とは、独立を果たした数年後の昭和30(1955)年1月の施政方針演説で鳩山一郎首相(当時)が述べたことである。
しかし、国会で改正に必要な議席がとれないで70年を閲してしまったわけで、社民党や共産党などの護憲政党が言うように、「70年間も慣れ親しんできた」から改正の必要はないと国民の多くが思っているわけではない。
改正したくない護憲派が「慣れ親しんだ憲法」「違和感なく国民に浸透」などと勝手に言い募っているだけである。
憲法改正は現実に立法に関わる大方の為政者たちの認識でもあるであろう。そうと分かっていながら、民進党や共産党などの野党は「安倍晋三首相のもとの改憲だけは許さない」と主張してやまない。