【AFP記者コラム】米メキシコ国境、壁は既に存在していた(パート2)──メキシコ側

1939年に撮影された、メキシコ・ヌエボラレドと米テキサス州ラレドを結ぶ国際橋の写真。同橋の駐車場で(2017年2月22日撮影)〔AFPBB News

 アントニン・スカリア判事の急死以来、1年以上空席となっていた米連邦最高裁判事に、今年1月、指名されていたニール・ゴーサッチ連邦第10巡回区控訴裁判所判事が、4月7日、上院で承認された。

 これで、最高裁判事の勢力バランスは保守に傾き、世論を二分する問題に影響が出るのは必至。

 同じ7日、フロリダの高級ショッピングモールで、10日にはカリフォルニアの小学校でと、日常生活の場での銃撃事件が続く米国で、事件が起こるたび議論が繰り返される銃規制問題はどうなっていくのだろうか。

 いかなる主義主張があるにせよ、銃弾が、人生を、生活を、社会を、そして歴史そのものまでも変えてきた歴史がある・・・。

劇場公開中『ジャッキー』が描く葛藤

 1963年11月22日。大統領就任から1000日あまりのジョン・F・ケネディは、前日からテキサス遊説に訪れており、テキサスの物流中心、交通の要衝たる大都会ダラスへとやって来た。テキサスでも特に保守的で、大統領に批判的な者の多い地でもあった。

 空港からダウンタウンへと進む大統領の車列。オープンカーでのパレードに熱狂する市民。そして、突然の銃声・・・。

 衆人注視のなか銃撃された大統領は、そのまま、パークランド病院に運ばれたが、午後1時、死亡。

 現在劇場公開中の『ジャッキー』(2016)は、その狙撃容疑者リー・ハーヴェイ・オズワルドまでもが射殺される異常事態のなかの夫の葬儀をめぐる葛藤を描く「ジャッキー」ジャクリーン・ケネディの物語。

 大統領もオズワルドも運ばれたパークランド病院をめぐる群像劇『パークランド ケネディ暗殺、真実の4日間』(2013)同様、暗殺直後の4日間を中心に描きジャッキーを演じたナタリー・ポートマンはアカデミー賞主演女優賞候補となった。

 数多くのドキュメンタリー作品があり、フィクションでも『ダラスの熱い日』(1973)、『JFK』(1991)、さらには今秋劇場公開予定(映画祭では上映済)のロブ・ライナー監督がリンドン・ジョンソン大統領を描く『LBJ』・・・。

 暗殺から半世紀以上を経た今も謎に包まれたままの事件への世の関心が尽きることはない。

 米国の、世界の歴史をも変えたこの銃撃から1000日たらず経た真夏の暑い日、再び「銃社会米国」を象徴する惨劇がテキサスの地で起こる。

 1966年8月1日の昼なか、名門テキサス大学オースティン校。何者かが、時計塔から眼下の人々を撃ち始める。

 学生が、妊婦が、自転車の少年が、次々と銃弾に倒れていく。96分後、ようやく、塔に潜入した警官たちが狙撃犯を射殺。犠牲者は17人にのぼった。

 姿なきスナイパーから放たれる銃弾の恐怖。そんななかにあって、自らが撃たれる危険を冒してまでも、倒れた者を助ける人々の勇気。

 被害者目線の秀作『Tower』(2016/日本未公開)の「ロトスコープ」(モデルの動きを撮影後トレースしたアニメーション)と実写フィルムが交錯する斬新な映像は、戦場の如き現場の緊迫感を伝える。

 1999年コロンバイン高校、2007年バージニア工科大学、2012年サンディフック小学校、その後も頻発する銃乱射事件の映像をバックに、自己防衛追求の原則を謳う社会で人命が奪われる矛盾を指摘する「CBS Evening News」アンカーマン、「アメリカの良心」とも呼ばれたテキサス育ちのジャーナリスト、ウォルター・クロンカイトのコメントが映画を締める。

 本物の銃など触ったこともない多くの日本人には考えようもないが、建国以前から、民兵が活躍し、自衛という概念とともに歩んできたこの国の銃への根強い依存は、ジャンルを問わず、当たり前のように銃撃シーンが登場する米国映画が物語っている。

 数々の西部劇の舞台となり、カウボーイが現役のテキサスのイメージは、いまも、銃と強くリンクする。

 サンアントニオで行われるミス・アメリカ・コンテストにテロ予告が入り、警戒中のFBIエージェントが、忍ばせている銃に手をかけようとしたとみて、「容疑者」にとびかかる。

 しかし、実際には煙草に火をつけようとしただけ。そんな主人公に「ここはテキサス。皆、銃を持っている」との言葉が浴びせられる『デンジャラス・ビューティー』(2000)を見れば、ステレオタイプなそんなイメージも、あながち、的外れと言えない。

 そんな映画の舞台となった全米第7の大都市サンアントニオは毎年数百万の人々が訪れる観光都市。その多くが映画にも登場する「独立の聖地」アラモへと向かう。毎年3月には「独立記念日」式典も行われる世界遺産にも登録されている人気の史跡である。

 1718年、スペイン人宣教師たちによって教会や修道院などが建てられたアラモ伝道所は、1世紀以上、軍隊が駐留するなど、地域の防衛拠点となっていた。