ウィキペディアによれば、もの作りとは、「日本の製造業と、その精神性や歴史を表す言葉」。現在の日本の製造業の繁栄は、日本の伝統文化、固有文化に源を発するという史観である。

高賃金、円高、いつまで日本は「もの作り大国」でいられる?

 確かに戦後の日本の製造業は、時代的背景(朝鮮戦争特需など)、秩序立てられた組織の日本人、勤勉な国民性に加え、経済復興に適した政官システム、松下幸之助や本田宗一郎などの素晴らしい起業家により急速な発展を遂げることができた。

 しかし、これだけ円高が進み、日本の労働費が世界の中でも相対的に高いにもかかわらず、日本が固有文化によって「もの作り大国」であり続けることはできるのだろうか?

 今後、労働費が相対的に安い国の技術が急速に発展してくれば、どのようなことが起こるのかを真剣に考えているのだろうか?

 日本に足元では技術力があるとしても、日本だけが製造業で特別の技術を作ることができるというのは幻想にすぎない。

 メディアが日本の技術力があると何度も取り上げている中小企業の顔ぶれはいつも同じであり、後継者が育たないまま高齢化が進み、韓国や中国にも技術力で勝負する企業が生まれつつある。

米国で理工系の博士号取得者は韓国の4分の1

 世界の先端を走っていると言われる米国の大学の科学・工学系の博士号取得者は、最新のデータ(2008年)で、日本が200人、韓国や中国は800人程度、インドは1000人を超えている。

 この数値を見ると、将来的に科学・工学分野で世界レベルに日本があり続けられるのかという疑問がある。

 文部科学省の学校基本調査(平成22年度速報)によれば、10年前に比べて、理工系学部への進学割合が減少している。理学部は、大学進学者の3.6%から3.2%に、工学部は18.9%から15.7%へと減少している。ゆとり教育の弊害で日本の理科離れが深刻だ。

 日本の大学のレベルが高いから、わざわざ米国の大学に行く必要がないという論点も、東京大学の世界大学での順位が24位で、アジア1位の座も今年、香港大学に譲ったということを併せて考えれば、にわかに信じがたい。