英国のEU離脱、米国での共和党保守重商主義政権成立と、まさかの国益背反・逆ねじ投票結果が続くなか、フランスの大統領選で右派マリーヌ・ルペン候補が当選した場合、フランスのEU離脱、いわば「フレグジット」が現実化する可能性が検討されています。
前回も触れた通り、覇権主義反対、フランスの独立を掲げ、マーストリヒト体制脱退を標榜する国民戦線が政権を担った場合、グローバル通貨ユーロからのフランスの撤退と古くて新しい通貨「フランスフラン」の復活という可能性が、決して絵空事でなく考えられます。
ユーロ分解・・・。考えたくないシナリオですが、仮にそのようなことになれば、間違いなくドイツの経済力を背景とするユーロそのものが安値となり、また「新フランスフラン」は少なくとも当初はユーロより低価値から出発するしかありません。全面的な「欧州安」です。
結果的に円は浮上せざるを得ないでしょう。
他方、米国が保護貿易を徹底させるなら、ドル安ベースの政策展開は大きな可能性の1つと言わねばなりません。実際「ドルが高すぎる、もっと円高を」という圧力は様々な形で顔をのぞかせています。
今回はユーロ~フランスとドイツに焦点を合わせ「結果的に円高」という状況で、日本にどのような可能性、選択肢があり得るのか、あるいはかつてあり得たのか、といったケーススタディを検討してみましょう。
前回も触れましたが、フランスは1870~71年の普仏戦争でプロイセンに破れてしまいます。
小ドイツ主義の盟主、プロイセンはナポレオンⅢ世を捕虜とし、第2帝政は極めてみっともない形で崩壊、一応の第3共和制体制に移行しますが、敗戦国フランスに降ってきたのは多額の賠償金請求でした。
なぜフランスは負けたのか?
ナポレオン以来、騎馬にまたがって全欧を席捲した「諸国民解放の国民軍」は、ラ・マルセイエーズを高らかに歌い、ライフルを手に軽騎兵が疾走していました。
そのフランス軍が、貨車に積んだガドリング連発機関砲や弾薬の兵站、食料から軍事医療まで、すべてが鉄道の物流網で銃後の支えが完璧だった、鉄血宰相ビスマルク率いるドイツの前に、全く歯が立ちませんでした。
折しも明治4年、東アジアでは日本が近代国家の幼い産声を上げた直後に、「エスプリ」の気概だけは高らかで、その実は丸腰に近かったフランスは、ドイツ重工業近代装備の前にひとたまりもなく、ナポレオンⅢ世の退位=退場とともに、プロイセンを盟主とするドイツ帝国の成立という雪辱を目の当たりにします。
ここで敗戦国フランスは何をしたか?
戦争に負けても、賠償金を支払うために国も企業もビジネス展開せねばなりません。そんな中で打たれた策の1つが、東洋で長く国を閉ざしていた「黄金の国」からの富の搾取だったわけです。