日本の国際連盟脱退と中国の孤立
日本は満蒙を自存自衛、国防の生命線と主張し、柳条湖事件(昭和6年9月18日)を仕組み、たちまち満洲全土を軍事占領し軍閥を一掃して満洲国を建国(昭和7年=1929年)した。
これに対し中国は国際連盟に訴え、リットン調査団が現地調査におよび国際連盟本会議で日本の違法性を報告した。日本はこれを認めず脱退(昭和8年4月=1933年4月)する愚挙を冒して自ら孤立化する道を選んだ。
中国も南シナ海を国際法上根拠のない「九段線」を根拠に中核的利益と称してその全域の管轄権を主張してきたが、フィリピンの提訴を受けたハーグの仲裁裁判所の判決(2016年7月12日)よってこれを完全に否定された。
それでも関係国のみならず、世界各国から非難されながらも国際法を無視してこの判決文を紙屑と称して自ら世論に反する独善的な危い道を突き進んでいる。
偉大な中華民族の復興
日本は経済も軍備も米国の資源(石油など)技術に依存して発展してきたのにこれに対決せんとする不合理な道を選び、対日経済包囲網(ABCD包囲網)を構築されると「八紘一宇、大東亜共栄圏建設」の美名で武力によるアジアの支配を企てた。
中国も同じく米国の資本・技術・市場によって経済発展と軍備を拡大しながら、「偉大な中華民族の復興」の名で米国のアジア太平洋からの駆逐を企て、米国の対中アジア連合包囲網と衝突しつつある。
このことは習近平国家主席の意を体し強硬論を繰り返す連合参謀部副参謀長孫建国海軍上将の発言でも明らかだ。
今アジア太平洋において激しく展開されている日米豪印・ASEAN(東南アジア諸国連合)の合従工作と中国の連衡工作はさながら中国大陸の戦国時代(BC403~221)の秦對趙・魏・楚等7国の政治抗争に似ている。
米国の元国務長官、ヘンリー・キッシンジャー氏は「経済的関係は安全保障関係の前にはひとたまりもない」と言ったが、ステークホルダー(Steak Holder)論や「新大国関係」などは何の保証にもならない。
日本のインドシナ進出と南沙、西沙諸島
日本が中国への米英の援蒋ルートを絶ち、また南方事態に備えて北部仏印(フランス領インドシナ)へ進駐(昭和15年9月)すると、米国は対日製鉄禁輸を課した。
さらに南部仏印に進駐(昭和16年7月)すると米国はこれを英国の東洋支配の牙城シンガポールと米国の植民地フィリピン攻略、石油の出る蘭印侵攻の意図とし対日資産凍結を通告し石油禁輸を含む全面的経済断交で対抗した。
かくして日本の日独伊三国同盟締結(昭和15年9月)と相まって抜き差しならぬ日米対立が起こり、しまいにはこれが日米対決のトリガーとなり米国にハル・ノート(日米交渉の日本側提案への米国の最終回答、コーデル・ハル国務長官の名を取ってハル・ノートと呼ばれる)を突きつけられた(昭和16年11月)。
そして、武力行使に追い込まれ敗戦の急坂を転がり落ち、明治以来の民族の血の努力の果実を一挙に失い、ついには未曾有の敗北、本国占領の憂き目を見た。