支援財団への参加拒否=慰安婦像撤去、応じない-韓国挺対協代表

韓国で発足した元慰安婦支援を行う「和解・癒やし財団」に抗議するため記者会見場に乱入した人々(2016年7月28日撮影、資料写真)。(c)AFP/JUNG YEON-JE〔AFPBB News

 経済産業省の敷地を5年前から占拠していた「脱原発テント」が8月21日にようやく撤去された。これは国有地を違法に占拠していたので、普通なら警察が即時撤去して終わりだが、経産省はそれを放置し、訴訟で最高裁まで争って7月に判決が出て、やっと撤去した。菅直人首相が思いつきで止めた原発は、5年たってもほとんど動かない。

 他方、外務省は2015年末の日韓政府の合意にもとづいて「元慰安婦」を支援する韓国の「和解・癒やし財団」に日本政府が10億円を拠出することを決めた。しかし合意の条件になっていたソウルの日本大使館前の少女像については、韓国側は「努力する」というだけだ。これでは問題は、また蒸し返されるだろう。

戦前から受け継がれる前例主義と「下剋上」

 官僚が違法行為にこれほど丁寧に対応するのは、マスコミの反発を恐れているからだ。朝日新聞はテントの撤去について「寝込みを襲うとは卑劣」という見出しで、浮浪者の抗議の声だけを掲載している。彼らにとっては「法を超える正義」があるのだろう。

 これは1930年代と似ている。勝てる見込みのない日米戦争になぜ突入したのか、と現代人は不可解に思うだろうが、そんなことは当時の軍人も知っており、参謀本部は不拡大方針だった。しかし五・一五事件や二・二六事件などのテロが頻発すると、軍や官僚の中で強硬派の発言力が強まった。

 日本の軍国主義の特徴は、ヒトラーのようにファシストが権力を掌握したのではなく、ファシストに迎合する軍人や官僚が出世し、そのコンセンサスに支えられて大政翼賛会ができ、戦争に突入したことだ。東條英機もファシストではなく調整型のサラリーマンだったが、徹底的な前例主義で、いったん御前会議で決まった開戦の方針を変えなかった。

 明治憲法では内閣に憲法上の権限がなく、軍の統帥権も独立していたため、最高意思決定機関がなかった。このような日本の意思決定の特徴を丸山眞男は無責任の体系と呼んだが、その特徴は「神輿」と「役人」と「無法者」の3層構造だという。