約20年ぶりに火を噴いたナゴルノ・カラバフ紛争。
ソ連末期にアルメニア系住民が多数を占めるアゼルバイジャン共和国内の自治州で発生した紛争は、1990年代初頭に約3万人が亡くなったと言われ、ソ連末期に頻発した民族紛争でも大規模かつ、構成共和国間で事実上の全面戦争の様相を呈した点でも当時は大いに注目された。
ソ連崩壊の引き金を間接的に引いたとも言える、世界史的にも重要な紛争である。
もっとも、大学の授業などで質問してみると今回初めて名前を聞いたという学生も多く、ソ連解体からの月日を感じる。
その一方で、実は昨年夏にも戦闘による18人の死者が伝えられるなど、紛争の火種は確実にくすぶり続けており、「突然火を噴いた」かのような報道は正しくない。
なぜナゴルノ・カラバフが重要なのか、端的にはナゴルノ・カラバフは両国にとってのナショナルプライドの源泉なのであり、簡単には収まらない問題なのである。
経済環境の変化が紛争に与えた影響については、すでに本誌で詳しい分析がなされているが、別の角度から今回の事件の衝撃について考えてみたい。
カラバフでは昨年も多数の犠牲者が出ていた
事件が発生したのは4月2日未明と報道されているが、まさに前日の4月1日にはアゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領も、アルメニアのセルジ・サルキシャン大統領も核セキュリティーサミット参加のため、米ワシントンD.C.に滞在していた。
両者ともそれぞれ別々に米国のジョー・バイデン副大統領と面会しており(アリエフ大統領の場合はジョン・ケリー国務長官も同席)、まさに米国が紛争解決の必要性を強調したそのわずか数時間後に現地で火を噴いたのである。
米国の面子は吹っ飛んだわけだが、そのためにロシアによる陰謀論なども流れたようである。しかし、実はカラバフの緊張は昨年夏にも高まり、少なくとも18人の死者を出したと報道されていた。
そして、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は黒海沿岸のリゾート地で冬季オリンピックも開かれたソチに両国の首脳を招待し、昨年8月初めに3者で会談を行っている。