グルジア紛争など4年前のことだが、はるか昔のように思える。しかし、20年経っても、「失われた世代」の「怨念」は生き続ける。グルジアの政治は小さなコップの中の争いに見え、人間の性を浮き彫りにしていると言うとこれもまた言い過ぎだろうか。(敬称略)
ロンドンオリンピックが開幕した。目まぐるしく変わる世界情勢の中で、4年前の北京オリンピックなどなかなか思い出すこともないが、開幕前日に突然として戦端が開かれたのが旧ソ連のグルジアであった。
その後数日間、世界の首脳はオリンピックそっちのけで振り回され続け、実際に多くの死者と難民が発生した。
もっとも、続くリーマン・ショックとユーロ問題など先進国では深刻な経済問題が続き、実際にはナゴルノ=カラバフなど現在も危険な状態が続いている。しかし、グルジアを含むコーカサス問題への国際的な関心はほとんど見られなくなった。
今回のオリンピックで旧ソ連圏の話題と言えば、ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領がロンドン入りを拒否されたと伝えられた程度であろうか。
ロシアについても、長期的にもあるいは短期の視点からもアジア方面への傾注は自然であり、日本でも様々な働きかけの議論はされているが、動きは鈍い。
グルジア紛争に関わった各国の首脳も米国のジョージ・ブッシュ大統領、フランスのニコラ・サルコジ大統領、ロシアのドミトリー・メドベージェフ大統領(現首相)とそれぞれ国家元首の地位を退いた。
一方、紛争の震源地となったグルジアではミハイル・サーカシビリ大統領がいまだ健在であるが、秋の総選挙に向けて近年になく国内の政治状況が緊迫しつつある。
今回は「世代」と「どこで成功したか」に注目しつつ、秋の政治変動に向けた与野党キーマンを取り上げたい。
寡黙な強硬派の首相起用
昨年暮れに本欄で紹介したグルジア政界のニューカマーで大富豪のビジナ(ボリス)・イヴァニシュヴィリは、その後、選挙連合「グルジアの夢」党を立ち上げた。
政権側からの激しいプレッシャーにもかかわらず、順調に地方と首都双方で政治集会を重ね、総選挙に向けて候補者発表を続けている。
地味であるが、シェワルナゼ時代の政権要人も含めて、グルジア社会において一定の尊敬を集めながらサーカシビリから距離を置いてきた、あるいは冷遇されてきた人物をバランスよく取り込んできている。