アラブ首長国連邦(UAE)の「ド派手担当」、ドバイ。今年も、世界一の超高層ビル「ブルジュ・ハリファ」では、新年を祝う花火が盛大に打ち上げられた。
ドバイの知名度と存在感はここ20~30年で一気に高まり、中東随一のビジネス拠点となった。中東といえば産油国を連想するが、ドバイはあまり石油の採れる国ではない。では、なぜここまで経済を発展させることができたのか。
國學院大學で中東経済を研究する細井長(ほそい・たける)氏の話からは、オイルマネーに頼らない、独自の成長戦略が見えてくる。
ドバイは石油に頼らぬ「貿易の国」
もともとドバイには「貿易の国」として栄えてきた歴史がある。
中継貿易の歴史は古く、インドがイギリスの植民地だった時代、イギリスから向かう船はシャルジャやドバイを経由していた。
また、天然真珠が主要産業となった時期もある。しかし、日本のミキモトが養殖真珠に成功したことや、第2次世界大戦で世界的に景気が悪くなったことから真珠産業は衰退した。
ドバイでは1966年に油田が発見され、69年から石油の生産を開始している。しかし、もともと石油埋蔵量は少なく、石油頼みというわけにはいかなかった。
そこで注力したのが中継貿易だ。ドバイには「クリーク」と呼ばれる入り江があり、ここに船が入る。かつてはイランやパキスタン、インドへ向かう 「ダウ船」と呼ばれる木造船が入港していた。
1960~70年代に入ると、石油収入を投資して、大型船が入港できるようクリークをより深く掘る工事が行われた。
近代ドバイの礎となった三大要素
1980年代に入ると、非石油産業の経済・産業路線はさらに強化された。なかでも「1985年」はドバイにとって特別な意味を持つ。