戦死者にクリスマス・リースを、米アーリントン国立墓地

アーリントン国立墓地で、アフガニスタンで戦死した夫の墓標を抱きしめる女性(2009年12月12日撮影、資料写真)〔AFPBB News

 靖国神社への首相の参拝を巡って、中国や韓国からそのたびに批判の声が寄せられる。日本国内でも、日本共産党や社民党など、左翼陣営から批判の声があがる。

 しかし私は、戦場で亡くなられた人々を慰霊するのは、当然のことだと思う。

遺族の心情を否定するのか

 私には、靖国神社問題を考えさせられる2つの出来事があった。

 もう30年ぐらい前になる。中曽根康弘首相が靖国神社に公式参拝をしたことに対し、中国から強い異論の声があがった時のことだ。私は、東京の多摩地方の団地で、中曽根首相の靖国参拝を批判する街頭演説を行った。演説を終えて宣伝カーを降りると、中年の男性が寄ってきて、「筆坂さん。共産党のことはいつも応援しているが、靖国参拝の批判だけは止めてほしい。あそこには私の兄が祀られているんです」と言われてしまったのだ。その時、なるほどこれは心の問題だ、無神経に取り上げてはならないと思った。実は、それ以来、靖国問題を語ったことはない。遺族の心情を察すると話す気にはなれなかった。

 もう一つある。私が共産党を離党した直後に、共産党系の印刷会社で働いていたという高齢の男性が、私の友人を通じて「食事しながらいろいろな話を聞かせてほしい」と言うので会ってみた。この男性は、子どもの頃、靖国神社のすぐそばに住んでおり、出征していく兵隊さんを何度も見送ったというのだ。だから毎年、8月15日には参拝しているというのである。

 話を聞いていると、この人はかつての共産党指導者であった徳田球一の家に出入りし、可愛がられていた人だということも分かった。

 靖国神社を忌(い)み嫌う人たちは、こういう思いを持った人々の気持ちも否定するのだろうか。