庶民が「国を守る」という意識を持つに至ったのは、人類の歴史からみればごく最近のことで、せいぜい1648年のウェストファリア体制の成立に伴い国民国家が形をなして以降のことです。

国を守ることと財産や命を失う恐怖とは意味が違う

 紀元前に行われたギリシャ・ペルシャ戦争やポエニ戦争において、アテネやカルタゴの市民もこれに似た感情を持ったかもしれませんが、それは「国を守る」という観念的な思考の産物と言うより、「自分たちの命や財産に向けられた脅威への恐怖心」から滲み出た、もっと本能的で素朴なものだったでしょう。

 我が国では白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた天智天皇治世下の7世紀後半と13世紀後半の元寇の2度、日本列島外の他民族による攻撃の脅威に直面しました。

 その時、日本の支配層や庶民が持った感情も「国家を失う」といった危機感と言うより、「命や財産を失う」という直截的な恐怖感であったと思います。

 日本人が国家というものを強烈に意識し始めたのは、明治維新以降です。国家の存亡を懸けた戦いであった日清・日露戦争と大東亜戦争がまさにそうでした。

 国家というものがあまりにも重く国民の頭上に覆いかぶさった時代であっただけに、「国を守る」という意識が沸騰しました。

日本人の強い国家意識を誘引した英、仏、露、米

 とはいえ、そのような意識は日本民族が元々持っていたものではなく、また自ら作り出したものではありません。

 日本人の強い国家意識を誘引したのは英、仏、露、米などの欧米列強でした。

 18世紀後半から20世紀前半にかけての欧米列強によるアジア進出という脅威を目の当たりにして、日本人は他のアジア民族には見ることのできない独特の過敏な反応をした、それが「国を守る」という観念へと昇華したと言えるでしょう。

 作家の司馬遼太郎は大村益次郎を主人公とした『花神』という小説の中で「この時期前後(19世紀の中頃)に蒸気軍艦を目撃した(欧米以外の)民族はいくらでも存在したはずだが、どの民族も日本人のようには反応しなかった」と述べています。