元衆議院議員の中山正暉氏と元産経新聞記者の今西和貴氏がナビゲートを務めた今回の『やすトラダムス』(12月7日放送/Kiss FM KOBEで毎週日曜24:00-25:00放送)。翌12月8日が太平洋戦争の開戦から73年目となることを受けて、戦前・戦後の日本や世界情勢などについて語った。

第1次世界大戦で「漁父の利」を得た日本

中山(正暉) 12月8日は、今からちょうど73年前に日本が英米に宣戦布告をして太平洋戦争が開戦した日ということで、今回はそれにまつわる話をしたいと思います。

 私が小学校3年生の時、朝7時のニュースで「西太平洋方面において米・英軍と戦闘状態に入れり」という大本営発表が放送されました。当時は小学校が国民学校に改称された頃で、学校に行くと校長先生から戦争が始まったことを直接聞かされました。

 国会周辺は憲兵隊が銃剣を持って警備にあたるなど物々しい雰囲気で、「これはえらいことになったな」と思ったのを今も覚えています。

 第2次世界大戦の原因の1つとなったのが、1914年に勃発した第1次世界大戦です。第1次世界大戦はドイツ・オーストリア・トルコなどの同盟国と、イギリス・フランス・ロシアなどの連合国がヨーロッパで争った戦争で、日本はイギリスと日英同盟を結んでいたことから連合国側について、軍艦を地中海に派遣するなどしました。

 日本の駆逐艦「榊」がオーストリア潜水艦「U27」の攻撃を受けて59名が戦死するなどの損害を被りましたが、アジアでは戦争の影響が少なく、日本は大戦景気で大儲けしました。そしてドイツの勢力圏であった中国の青島や南洋諸島などを次々と制圧し、利権を手にしていったのです。

爆破現場の状況(ウィキペディアより)

 その仕返しとして、ドイツは中国国民党の蒋介石総帥に100人規模の軍事顧問団を派遣するなどの支援を行いました。

 一方、当時日本は満州への進出を果たしており、1928年に関東軍の河本大作らが満州の実権を握っていた北洋軍閥党の張作霖を列車で移動中に爆殺する「張作霖爆殺事件」が起きます。

 張作霖の死後は、息子の張学良が軍政を掌握。張学良はそれまで使用していた満州五色旗を降ろし、蒋介石率いる国民党の青天白日旗を掲げました。この易幟(えきし)によって、国民党による中国全土の統一がなされました。

 日本を恨んでいた張学良は、後に西安を訪れた蒋介石を監禁し、内戦停止と挙国一致の抗日を迫ります(西安事件)。これを契機に中国国民党と中国共産党との間に第2次国共合作が成立し、日中両国は全面戦争に突入していきます。