最近、我が国周辺では安全保障に係る話題が世界の耳目を集めている。韓国哨戒艇「天安」爆沈事件と北朝鮮の関わり、台頭する中国の軍事力への警戒。今の北東アジアには短期的にも中期的にも安全保障上の課題が山積している。
騒がしい東アジアの中にあり、安全保障が議論されない唯一の国
しかし、最近の国会でそのような話題が論議されることは少なく、先の参議院選挙ではほとんど議論にならなかった。国家として安全保障に関する認識がすっぽり欠落しているのではなかろうか。
そして、それをおかしいと思っていない国民やマスコミの論調。日本とは実におかしな国だと、最近つくづく思う。
多くの国民、そして国家を方向づけする責任を持つ政治や実際に施策を打ち出していく官僚が、自らの安全保障意識の欠如に違和感を感じない。
気づいていてもどうすべきか思慮できない、そしてこの分野を無視しても誰からも何ら批判されない、そのような状態が今の日本ではなかろうか。
最近の総理大臣の施政方針演説では、安全保障関連がどれだけ語られているのだろうか。安全保障や外交は国の専管事項であり、国家の安全を確保するということこそ総理大臣が一番意を払わねばならないことであるのに。
放っておけば絶滅不可避の天然記念物?
これは、進歩的知識人と呼ばれた人々が理想論を唱え非武装中立を主張した時代から、1970年代、「水と安全はただ」の国と評された時代を経て、何ら変わっていない。
国際政治が現実の冷厳たる力のせめぎ合いであることに目をつぶり、理想だけを唱えていれば国家の安全保障は達成されると思っている国がこの世界に存在していることが、むしろ天然記念物のようなものだ。
米軍普天間基地移設問題で、当時の鳩山由紀夫前首相が強調したのは沖縄住民の思い、当時の3党連立政権の枠組み、そして日米合意の重みであって、そこには米海兵隊を沖縄に駐留させ、抑止力を維持すべきかどうかという我が国の安全保障上の議論はほとんど聞かれなかった。
2010年4月になり、いよいよ結論を迫られた時、「学べば学ぶほど沖縄の米海兵隊の抑止力が必要と分かった」との率直な言葉が首相の口から出て周囲を唖然とさせたが、その抑止力が何を意味するのか、その背景や細部理由は説明されないままであった。