朝日新聞社の木村伊量社長は9月11日の記者会見で、慰安婦問題についての誤報を謝罪し、第三者委員会による検証を約束した。このとき杉浦信之編集担当の解任が発表されたが、木村社長は「われわれはアジアとの和解、女性の人権の問題として従来の主張を続けていく」と開き直り、進退も明らかにしていない。

 これは8月5日に大誤報を訂正したとき、朝日が1面で「慰安婦問題の本質 直視を」と説教したのと同じだ。原発事故の吉田調書をめぐる誤報と一緒に発表してダメージを軽減し、時間とともに忘れてもらおうということかもしれないが、問題は誤報より彼らの信じている「慰安婦問題の本質」にある。

朝鮮人は進んで戦争に協力した

 朝日の記事は「戦時中、日本軍の慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです」と書くが、これは本質ではない。軍と雇用関係のなかった慰安婦より重要なのは、兵士と軍属(軍に雇用された民間人)である。

 特に朝鮮半島には徴兵制がなかった(戦争末期にできたが出征しなかった)にもかかわらず、志願兵の募集には、最大50倍の志願者が殺到した。当時の新聞は、その熱気を「兵役志願 三千名を突破す」などと伝えている。

 朝鮮人志願兵制度実施が発表されるや半島同胞の間に一大センセイションを巻き起こし、十六日夜から十七日にかけて熱誠溢れる志願者がどつと繰出し京城憲兵隊、京城憲兵分隊、龍山憲兵分隊の受付は問合せの電話や志願者との応対でほかの仕事は全然手がつけられぬ有様だ。
(『大阪朝日新聞』南鮮版1938年1月18日)

 もちろんこの時期の朝日新聞は御用新聞だったので誇張はあるだろうが、陸軍の志願兵募集に対して80万人もの応募があり、延べ24万2000人の軍人・軍属が日本軍に参加して、2万2000人が死んだ。彼らの英霊は、靖国神社にまつられている。

 朝鮮人兵士は、決して食い詰めていやいや志願したのではない。陸軍士官学校や陸軍大学を卒業して、将校になった朝鮮人もいる。その代表が、陸士を出て満州国軍に勤務し、中尉まで昇進した朴正煕(朴槿恵大統領の父)である。