東アジアで戦争が起こる可能性を過小評価するのはやめよう。あるいは、中国と日本が紛争を起こした場合に、米国は高みの見物を決め込めるなどと甘い考えを抱くべきでもない。欧米人が日中のいがみ合いの本質や、その対立が掻き立てる激しい感情を推し量るのは難しい。

 理屈の上では、日中両国をいがみ合わせている争点は容易に理解できる。例えば、日本も中国も、台湾と日本の琉球諸島の近くにある小さな島々、尖閣諸島(釣魚島)の領有権を主張している。

 中国は、近海とその上空の交通を支配したいと考え、東シナ海に新たな防空識別圏(ADIZ)を設定し、公海の利用規則を書き改めようと手を尽くしている。また、海底エネルギー資源の存在が、排他的経済水域(EEZ)の境界の線引きで摩擦を生んでいる。両国の争点はほかにもある。

 これらの事例は、一見単純な話だ。領有権と資源をどのように分配するかを巡る争いである。部外者はそれを理解できる。しかし、そこに危険がある。実在の定量化できるものだけが原因で厄介な事態に至っていると決めてかかることが危険なのだ。

 係争中の領土と資源が取るに足りない価値しか持たない場合には、そうした決めつけの危険性はいっそう高まる。プロイセン王国の軍事学者カール・フォン・クラウゼヴィッツの費用便益論に従うなら、尖閣諸島やスカボロー礁は、当事国のいずれにとっても最小限の時間や資源を割く価値しか持たない。

なぜ大国が「無人の岩」を巡って戦争の危険を冒すのか

中国の防空識別圏は「日本がターゲット」、中国国営紙

欧米人にとっては、無人の島を巡って大国が戦争の危険を冒すことが理解できない〔AFPBB News

 だからこそ評論家や解説者は、客観的基準からすると利害がこれほど小さいのに、なぜ妥協がこれほど難しく見えるのかと首をひねる。「東シナ海の無人の岩」を巡って複数の大国が戦争の危険を冒すなどということは、どうしても理解できないのだ。

 アジアウオッチャーの中には、「本質的に無価値な」地勢を巡って複数の社会が争いたがることに、あきれ果てている者もいる。

 そうした人々は、なぜ互いに妥協できないのかと問いかける――取引をして地域の調和を取り戻し、他の国々に無用の混乱や苦難を被らせずに済ませることがなぜできないのか、と。明白な価値などほとんどないものにしがみつくのは、理性を失った自滅的な行為だとは言わないまでも、考えが足りないように思える。

 果たしてそうなのだろうか? SF界の巨匠、ロバート・A・ハインラインなら、欧米人はこうした問題を、頭では理解しても「グロク」できないのだと冷やかすかもしれない。重大な問題というものは、争われている具体的利害だけでなく、より大きな原則をも問うものだ。ハインラインが名作『異星の客』の中で創作したグロクという言葉は、「観察者が観察されるものの一部となるくらいまで完全に理解する」という意味を持つ。何かを単に頭で知るだけでなく、腹の底から感じ取ることだ。

 ハインラインは、人が他人を本当に知る能力に絶望していたようだ。グロクする、とは「我々が宗教、哲学、科学という言葉で表していることほとんどすべてを意味する」。しかし、ハインライン曰く、目の不自由な人に色が分からないのと同じように、ほとんどの人はそうした「深い理解」を得ることはできない。その結果、不本意ながら、味方に対しても、また敵になりそうな者に対しても、同じように共感が欠落する。

 しかし、我々は容赦のない戦略的現実をグロクしなければならない。東アジアのいがみ合いは、単に島々やADIZだけが問題なのではない。アジアの秩序の本質そのものが問われている。民主制であれ、少数独裁制であれ、国内で権力を握るどのような政治体制であっても、外交政策の基本的な動機は、自国を取り巻く世界を安全な場所にすることにある。