筆者は2月21日夜(大統領と野党との間で協定が成立した後)からウクライナの首都キエフに滞在している。2013年11月21日のEU連合協定調印延期に端を発した抗議行動は、3カ月後にはビクトル・ヤヌコヴィッチ政権の転覆に終着しようとしている。
防具と武器で身を固める市民
ここまで拡大・悲劇を招いた主因は、政府側の対応ミスにほかならないのだが、詳細な議論は、近日中の別稿に譲るとして、本稿では、筆者が見聞した独立広場(Maidan)周辺のもようについて、撮影した写真を交えて報告させていただきたい。
2月22日昼前、筆者は運行を再開した地下鉄で独立広場に向かった。独立広場直下の「独立広場」駅と「フレシャーチク」駅は乗り換えのみで、地上出口へのアクセスが閉鎖されている。
そのため、1つ離れたアルセナール駅で下車し、徒歩で中心部に接近することにした。道路の往来は規制されておらず、徒歩で様子を見にきた市民の姿が多数見られた。
アルセナール駅に近い議事堂前のマリンスキー公園は、政府側が市内撹乱のために主として東部ウクライナから動員されたチトゥーシキ(Titushki)と呼ばれる暴力集団のキャンプ地であったが、多数の簡易トイレを残して昨晩のうちにすみやかに撤収した後だった。
市民の多くが防具と武器で身を固めているのは、本来、このチトゥーシキに対する自衛のためであるが、危険が去った今では自らの信条を表すアイテムとして機能している。
大統領が機能しない中、ウクライナ最高会議が政治の中心となっており、議事堂の警備は極めて重要である。既に内務省やミリツィア(民警)は市外に退去しており、その警備は抗議集会側の自衛組織(Samoobarona Maidanu)が担っている。
市民は柵越しにおとなしく議事進行を見守るだけである。なお、議事堂内部は、平時と同じく、国家警備局(UDOU)の隊員が担当しており、自衛組織との役割分担は21日の両者間合意に基づくものであるという。
この議事堂へのアクセスを巡っては、多数の血が流された。
政府側は、巨大なコンクリート塊やKMAZトラックでバリケードを築き、その脇の建物から、インスティトゥーツィカ通りを上ってくる活動家を狙撃していた。