1 宇宙の軍事利用の現状
(1)宇宙開発黎明期
1957年10月4日、当時のソ連が初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功し、人類が初めて宇宙に足を踏み入れた。宇宙開発の初期の時代は「名誉と冒険の時代」であったと言える。
米ソ両国が宇宙という未知の世界に開拓を進め、次々と新たな挑戦が成功を収め、新しい領域の可能性に人々は胸をときめかせた。
他方、宇宙には国境がなく、潜在敵国のあらゆる地域に目を光らせるのに好都合であった。米ソは宇宙開発初期から宇宙を軍事的に利用しようとし、宇宙からの偵察活動という新しい分野に力を注いでいった。
東西冷戦の当時、米国は高々度偵察機「U-2」を使ってソ連の内部奥深くまで入り込み、大陸間弾道ミサイル(ICBM)基地などを探る秘匿度の高い写真偵察活動を実施していた。
ソ連はこの米国の偵察活動を領空主権の侵害と非難し、1960年5月にはU-2を撃墜した。米国はこの事件により偵察飛行を中止するとともに、ソ連を挑発せず、撃墜されることもない偵察衛星による写真偵察に一層力を注ぎ始めた。
これに対してソ連も、「スパイをするために衛星を使うことは許し難い主権の侵害である」と主張しながらも、米国の空軍基地や空母など米国を攻撃する際の目標を探知するなどのため、米国同様の衛星偵察活動を同時期に開始している。
米ソ両国は宇宙からの偵察活動が外交問題になることを互いに避けるとともに、計画的に粛々と偵察が行えるよう、偵察衛星については技術面も含めて徹底して秘匿した。
宇宙からの偵察活動が公然と許容されるに至ったのは1970年代半ば、兵器制限交渉の合意の下で検証技術手段(NTM)の主なツールとして是認された以降のことであった。
冷戦間、米ソ両国のICBM部隊は強力な戦略的抑止力を提供していたため、宇宙は偵察活動のほかにも戦略的に重要な場になっていった。ICBMによる先制攻撃を探知するため、米国の防衛支援計画(DSP)衛星は、ソ連のICBM発射情報を入手すべく早期警戒衛星として静止軌道上から24時間警戒をしていた。
