前回は「私は一路、バンコクに向かったのである」で終わったが、実はそう簡単にバンコクには行けなかった。

 というのも、11月末から突然沸き起こったバンコクの反政府デモ。最初はいつものことだろう、くらいに思っていたのだが、どんどんエスカレートしていき、結局、私が出していた出張申請は「情勢不安定のため公務の渡航はしばらく見送り」ということになってしまった。

反政府デモの激化でバンコク行きに黄信号が灯ったが・・・

 でも、タイの放送局MCOTとの約束はある。じゃあ、仕方ないから私用渡航ってことにして自腹で行こうと決めた途端に、今度はMCOTとも連絡が取れなくなってしまった。

 どうもバンコクのいろいろな公的機関がデモ隊に占拠されていて、大変なことになっているらしい。MCOTとしても、カンボジアくんだりから「ロボコンの相談」にやって来る、訳の分からない日本人なんかにかまっている暇はないのかもしれない。

 しかし、このチャンスを逃すと私も12月中にバンコクに行く時間が全く取れない。ジョッキーさんの携帯電話番号も分かっているし、とにかく連絡は取れないけれど、行ってみるか・・・と思っていたら、出発2日前になってようやく連絡が来た。

 やはり、MCOTはデモ隊に占拠されていたというのだ。ようやく元の状態に戻ったから、予定通りMCOTで是非会いましょうと書いてあった。

まるで六本木のようなバンコクの中心部(写真提供:筆者、以下同)

 なるほど、メディアでニュースとなって流れていることが、自分に直接関わりのある人々にも影響しているのだなあ、なんて感慨にふけりながら、兎にも角にも確認が取れたことに安堵して、バンコクに向かったのである。

 プノンペンから飛行機で約1時間、バンコクに到着すると、そこには「先進国の」大都会の風景が広がっていた。

 街には高層ビルが立ち並び、モノが溢れ、モノレールと地下鉄が交差する駅にはコンビニが立ち並び、人々は足早に通り過ぎる。すべてがキラキラと輝いて見えた。まるで一足飛びに東京に舞い戻ったような感じだ。

 こんな光景が国境のすぐ向こう側にはあるのに、一体カンボジアの建物の粗末さとゴミの多さと道路事情の悪さと埃っぽさと、そして何より貧しさと言ったら、なんだろう? と、大きなカルチャーショックを受けていた。

打ち合わせに向かったタイの公共放送局MCOTでの不意打ち

 MCOTはタイの公共放送局だ。日本で言えばNHKのような存在である。

 カンボジアの国営テレビ局と似たようなものと言えばそうかもしれないけれど、朽ち果てた建物の前に、人々が所在なくのんびりと佇んでいる我が局とは違って、MCOTは日本のテレビ局のように局舎がいくつも分かれて建てられ、関係者が忙しそうに行き来する、まさに「マスコミ!」って感じなのである。

 素人じゃない私ですら、こう感じてしまうほどの大違いなのだ(ちなみにこの記事のために写真を撮ろうと思っていたのに、あまりのことに圧倒されてしまったカンボジアの田舎者は、気づけば写真を撮ることもすっかり忘れてしまったのである)。