経営力がまぶしい日本の市町村50選(22)

 北海道の夕張市か島根県の海士町かと、日本で最も経営力のない市町村の汚名を着せられてきたが、前回紹介した山内道雄さんが町長に就任すると、海士町は見違えるような変化を遂げ始めた。

 しかし、改革は1人ではできない。海士町を会社に例えるなら、山内町長が最高経営責任者(CEO)である。そのビジョンを受けて、あるいはCEOと議論を重ねながら、事業を実行していく経営陣も優秀でなければならない。

 今回紹介する阿部裕志さんは、CMO(最高マーケティング責任者)と呼べるだろうか。海士町の広報や社会人も含めた人材教育を担当する。

 京都大学大学院を修了するとトヨタ自動車に就職、トヨタが誇る数々の工場を革新させていった。その阿部さんは機会に恵まれて海士町を訪れたとき、運命を感じた。自分の人生を懸けるのはここだと。

 そして天下のトヨタを未練もなく辞め、海士町に移住してしまう。そしてトヨタで学んだ革新手法をもとにしながら、海士町に新しい発想をもたらすと同時に絶え間のない改善を根づかせた。海士町を語るとき、絶対に外してはならない人材の1人である。 

海士町の自立再生への思いと実践に惹かれ、トヨタを辞めIターン

巡の環・代表取締役の阿部裕志さん

川嶋 阿部さんは海士町にIターンして巡の環を起業されたわけですが、その経緯から教えていただけますか。

阿部 巡の環は2008年1月、信岡良亮(巡の環・取締役)と高野清華(2012年退職)と僕の3人で立ち上げました。僕は愛媛で生まれ、愛知で育ち、京都大学・大学院を卒業後はトヨタ自動車でエンジニアをしていました。

 やはり海士町にIターンした岩本悠(海士町「島前高校魅力化プロジェクト」プロデューサー)君の奥さんから「海士はおもしろいよ」という話を聞き、2006年の12月に遊びに来たのがそもそものきっかけです。

 その時は岩本君にいろいろな人を紹介されて、海士町のある中ノ島を案内してもらいました。そこで島のみなさんの自立への思いと、実際いろいろな取り組みが動いていることを知り、僕もこの輪に加わりたいと感じたんです。

川嶋 どんな取り組みが動いていたんですか。

阿部 都市地方交流事業の「AMAワゴン」や、海産物の味や鮮度を落とさず冷凍するCAS凍結センターが稼働し、養殖岩がきも東京で売り出していました。それに隠岐牛の出荷も始まるなど、いろいろな産業振興策が立ち上がったところで、とにかくおもしろそうだなと思ったんです。

川嶋 その時はトヨタに入ってまだそんなに経っていない頃ですよね。

阿部 4年目でしたが、このままでは僕の望む生き方からは遠ざかる感覚がありました。