経営力がまぶしい日本の市町村50選(22)
かつては夕張市か海士町かと言われたほど日本で最も財政事情が悪い町の1つだった。しかし、その町がいまや日本の地方自治体の模範生のように言われるまでになった。その理由は2002年に町長に就任した山内道雄さんの決死の覚悟が実現させたものだと言っても決して大げさではない。
JBpressでも2010年2月に「なぜか『勝ち組』若者が移住してくる離島」として紹介、非常に多くの読者に読んでいただいた。今回、それから3年以上が経って、海士町がどのように進化しているのかをさらに掘り下げてみたいと考え海士町へ渡った。
過疎、少子高齢化に苦しめられている日本の地方の中で、海士町のように輝きを放っている市町村にはいくつかの共通点がある。
その中で特に重要な3つの点を挙げるとすれば、1つは、リーダーの強い意志と行動力、2つ目は妥協のない財政削減、そして3つ目が苦しい中でも未来のために投資を怠らないことだ。この3つの条件とも、海士町は兼ね備えている。
しかし、海士町がほかの市町村と大きく違うのは4番目の理由においてである。よそ者を快く受け入れること――。これは簡単そうに見えて最も難しい。なぜなら安定し成熟した社会になればなるほどよそ者を嫌うものだからだ。
でも、新しい血が入ってこない限り、組織の発展も変革も難しい。米ゼネラル・エレクトリック(GE)のジャック・ウェルチ元CEO(最高経営責任者)は、「ゆでガエル現象」という一言でこの点を喝破した。
一方、日本には面白い事例もある。日本の伝統文化の権化とも言うべき京都に、なぜ先端的な企業が生まれるのか、である。京都という町が伝統を重んじる一方で、実は進取の気性に富んだ人々を受け入れる文化をまた一方の伝統として育んできた歴史がある。
強い抵抗勢力が存在する中で、GEや京都に倣うことはたやすいことではない。しかし、海士町はそこに挑戦し、成果を上げているところがすごいのだ。
課題があるとすれば、この取り組みを山内町長の1代限りではなく、永久運動に変え、京都のように伝統文化へと昇華させることだろう。まずは山内町長のインタビューからどうぞ。
自分も「よそ者」。Iターンで外から来た人の気持が分かる
川嶋 山内町長は2002年に就任され現在は3期目ですが、その前は町議会議員だったそうですね。
山内 そうです。議員は6年務め、2期目の途中で町長選に出ました。地元の商工会会長で、建設会社の社長に出馬を勧められたからです。私は町長など考えたこともなく、最初は何を言うのかと思いましたよ。
というのも、私は両親が鳥取から移ってきた、いわばIターンのはしりで、島には親戚もおらず、最初の議員選では14議席のうち下から3番目で当選したくらいでしたから。
川嶋 島というのは普通は閉鎖的ですよね。Iターンを受け入れるというのは、なかなか難しいのではないですか。
山内 昔はそういう傾向は強かったと思います。私もそれこそ「よそ者」ですから、子供心にそれは感じていました。親戚がいないと祭りなどにも呼ばれず寂しい思いをしたこともあります。
いま考えると、自分がIターンの人たちの気持ちが分かるのは、そういう体験があるからかもしれません。