松江から日本海を北へ約60キロ沖にある隠岐諸島の中ノ島、面積約33平方キロメートルの全土が海士という町だ。東京から飛行機、バス、フェリーを乗り継いで約6時間半。松江からのフェリーは1日2便(冬期間は1便!)しかない。人口約2400人、高齢化率39%の典型的な過疎の島だ。

フェリーから見た隠岐諸島の中にある海士町の海岸(筆者撮影・以下同)

 そんな海士町(あまちょう)が、都会から数多くのIターン者を集めている。しかも、いわゆる大企業で仕事をしていたり、難関大学を卒業したりといった、世間では「勝ち組」と言われる経歴を持つ若者が多い。

 「過疎」「高齢化」は地方の多くの自治体が共通に抱える悩みだ。東京でIターン・Uターンを呼び掛けるイベントを開催したり、住宅や仕事の斡旋で便宜を図るなど、各自治体は新たな居住者集めに知恵を絞る。しかし、現実は厳しく、新住民の獲得は難しい。そんな中、圧倒的に不利な地理条件の海士町に、なぜ、都会の生活を捨てて、若者はやってくるのだろうか。

Iターンの中心は20~40代

 小泉政権時代の国と地方の三位一体改革では、海士町財政は大打撃を受けた。地方交付税の大幅削減で、2005年度に町長50%、助役と町議40%、職員16~30%という大幅な給料カットを強いられた。しかし、それをきっかけに、町は自立をかけて大胆な行財政改革と産業振興、定住対策に打って出たのだ。

海士町で養殖している岩ガキ。「春香」のブランド名で東京にも出荷している

 産業振興では、特産のサザエを使ったレトルトカレーの商品化や養殖岩ガキのブランド化、町出資の3セクが整備した凍結センターによる冷凍海産物の東京出荷などを進めている。また、定住対策で2004年4月から2009年12月までの間に144世帯、人口の1割近い234人のIターン者が町に定住した。

 Uターン・Iターンといえば、子どもが巣立った脱サラの中年夫婦や、定年を迎えたサラリーマンが、自分のふるさとや気に入った土地で仕事を探し、のんびりと第二の人生を送る──という姿が思い浮かぶ。しかし、海士町のIターンは20代から40代までの若者や働き盛り世代が多いのが特徴だ。

ソニー、トヨタの元社員も移住

ソニーを辞めて海士町にIターンした岩本悠さん

 「ただ田舎暮らしがしたいというIターンとはちょっと違う。自分のやりがいや地域貢献をしたいという何らかの目的意識があると思う」。こう語るのは、町教育委員会の「高校魅力化プロデューサー」である岩本悠さん(30)だ。東京出身の岩本さんは大学卒業後、ソニーに就職し人材育成などを担当していた。

 岩本さんがIターンするきっかけとなったのは、町の教育委員会が2006年から実施している中学校の出前授業の第1回目の講師として招かれたことだ。授業が終わった後の飲み会で、「生徒数が減って町の高校がつぶれそうだ。つぶれると島が自立できなくなる」という、役場職員から相談を受けた。