駆け足で映画音楽の足跡を辿った前回のコラムを書き上げて間もなく「マカロニウエスタンの貴公子」ジュリアーノ・ジェンマの訃報に接した。
1960年代終わりから70年代初めにかけ大ブームとなったマカロニウエスタン(日本以外では「スパゲッティウエスタン」と呼ばれる)の売りは残酷シーンと派手なガンプレイ。主役も髭ずらの暑苦しい男ばかりだった。
そんななか見せるさわやかな笑顔と華麗なガンさばきが女性ファンをも魅了し、日本での人気も高かったジェンマ絶頂の頃を、今回も映画音楽などとともに振り返ってみたいと思う。
1967年、絶頂期を迎えたマカロニウエスタン
映画雑誌「スクリーン」の読者人気投票を見ると、1967年度、68年度、ジェンマは男優部門第3位となっている。
ともに、1位はスティーブ・マックィーン、2位はアラン・ドロンだが、67年度は、4位クリント・イーストウッド、5位フランコ・ネロとマカロニウエスタンのスターたちが続き、この年がブーム絶頂期だったことが見て取れる。
イタリア映画界が、スティーブ・リーブスなど筋骨隆々のスターたちを主役に据え「Sword-and-sandal」と呼ばれる低予算史劇を粗製濫造していた1962年、『タイタンの逆襲』でジェンマは初の主役を演じた。
しかし、日本公開は1965年11月。その年、4本のマカロニウエスタンに主演したジェンマは既にイタリアではスターだった。
それから間もなく『荒野の用心棒』(1964)が公開され、主題曲「さすらいの口笛」もヒット、日本でもブームが本格化した。翌66年7月には、『荒野の1ドル銀貨』(1965)でジェンマのマカロニウエスタンも日本初お目見え。
続く1967年、『南から来た用心棒』(1966)『続・荒野の1ドル銀貨』(1965)『続・さすらいの一匹狼』(1965)『荒野の一つ星』(1967)と立て続けに4作が封切られ、さらに68年には『怒りの荒野』(1967)『星空の用心棒』(1967)・・・と快進撃は続いた。
しかし、なぜか、初のウエスタン『リンゴのためのピストル』(1965)は劇場公開されなかった。そして、のちにテレビで放映された時つけられた題名は『夕陽の用心棒』。