中国人の盲目の人権活動家、陳光誠氏が中国当局に長い期間弾圧され、米国の政府や議会が介入したのは、2012年4月から5月にかけてのことだった。その後、すぐに陳氏は米国への出国が認められ、家族とともにニューヨーク地区での生活を始めた。
それからおよそ1年が過ぎた最近、ある興味深い出来事が米国で起きた。その背後に浮かび上がったのは、米国内での中国政府の影響力の高まりである。日本でも似た状況がすでに生まれており、他人事ではない。
ニューヨーク大学が唐突に退去を求める
陳光誠氏が中国でいかに弾圧されたかについては、本コラムでも報告した(2012年5月9日、「『米中G2時代』は幻と教えてくれた『陳光誠事件』」)。
陳光誠氏は中国の山東省の一地方に住み、独学で法律を学び、たった1人で弁護士に近い法的な人権活動を開始した。中国政府の1人っ子政策から生じる女性の堕胎の強制に強く反対し、中国当局から弾圧され、懲役4年3カ月の刑を言い渡された。刑期を終えた後も自宅での軟禁処分を受けたが、弾圧はなお激しくなり、本人が北京の米国大使館に助けを求めたことなどから、米中両国間の問題となった。
その後、2012年5月後半には米国への出国を認められた。米国ではニューヨーク大学(NYU)の客員研究員として迎えられ、家族とともに同大学の構内の宿舎に住み始めた。
ところがそれから1年ほどが過ぎた2013年6月になって、陳氏が唐突にニューヨーク大学からの退去を求められたというのだ。
陳氏は公式の場で、「ニューヨーク大学は、私の客員研究員としての身分を数年は保証すると約束していたが、大学当局が中国政府の圧力に屈して私の退去を求めるに至った」と言明した。
大学当局は、陳氏の客員研究員としての受け入れは当初から1年間と決まっていたと述べるが、陳氏はそれを全面否定する。
そして同氏は、ニューヨーク大学が上海の分校を開設することをすでに決めており、その計画との関連によって中国当局から陳氏追放の指示を受けたのだ、と断言するのだった。
中国政府との関係を良好に保ちたいニューヨーク大学
ニューヨーク大学は米国で有数の伝統と規模を誇る私立の総合大学である。この大学が陳氏を受け入れたのは、当時の国務長官ヒラリー・クリントン氏からの要請だったと言われる。クリントン氏はニューヨーク選出の上院議員だったことがあり、いわば地元の総合大学には知己も多く、要請も容易だったのだろう。