「2013年3月8日。新年の、あの永遠とも思われるほど長いボスニアへのバスの旅の後、私は自分に誓った。『もう、十分に冒険はした。これからは夜中の一人旅はやめよう。常軌を逸した状況に陥って、運命に挑戦するようなことはもう絶対にしない』と」

 「なのに、滑稽なことに、今、零時46分、私はコソボとセルビアの国境にある粗末な食堂に座っている。最初のショックの波はどうにか切り抜けた。それどころか、またニヤニヤすることさえできる。しかし、なぜまた、こんな状況に陥ってしまったんだろう?」

深夜、コソボとセルビアの国境に取り残された三女

バルカン半島の地図。コソボはセルビアの南に位置する(Google Mapより)
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 三女のこのブログを読み始めたとき、私は心臓が止まりそうになった。コソボとセルビアの国境で、深夜一人で何をしているのだ?

 「なぜ、またこんな」というのは、こっちが聞きたい。こういう国でのバスの旅にはかなりのリスクが付きまとうことを、私は十分知っている。

 治安はもちろん、車輛の整備から道路状況、そして運転手のマナーまで、日本やドイツでは想像さえできない劣悪さなのだ。無鉄砲にもほどがある。

 ドイツにSHL(“Schüler helfen Leben”、英語にすると、“Students help Life”)という、バルカン半島の援助を目的としたNGOがある。1992年に作られた組織で、当時、ユーゴ紛争の地に救援物資を送ったのが発端だ。

 活動資金は、ドイツ中の学校が年に1度授業を免除し、学生がバザーなどを催して稼いだお金で賄われる。現在SHLは、学生主導のNGOではヨーロッパ一の規模。一番有名な後援者はアンゲラ・メルケル首相だ。

 一連のユーゴ紛争の記憶はまだ新しい。泥沼に陥った内戦に北大西洋条約機構(NATO)軍が介入し、ベルグラードやサラエボを空襲したのは、それほど昔のことではない。当時、米軍の爆撃機は、ドイツ国内の基地から飛び立っていた。特にボスニア・ヘルツェゴビナの「民族浄化」のための殺戮とレイプは凄まじかった。

 紛争終了以来11年半、これらの国はいまだに混沌としている。経済状態は劣悪、政治は不安定、治安もインフラもお世辞にも良いとは言えない。壮絶なジェノサイド(虐殺)の責任を問う裁判は、オランダ・デンハーグの国際軍事裁判所で進行中だ。