米軍主導によるイラク侵攻が開始されてから10年の歳月が流れた。サダム・フセインの隠し持つ大量破壊兵器が世界の脅威であるということから、多くの反対を押し切って始められたこの戦いを、開戦時、米国民の7割が支持していた。
9.11同時多発テロという初の本土攻撃の経験は米国人の視野を狭め、当時の米国社会は一種独特の空気に包まれていた。『ランド・オブ・プレンティ』(2004)の主人公は、まさにそんな社会状況をデフォルメした存在。
ちょうど40年前、米軍は南ベトナムから撤退を完了
仕事でもないのに監視装置を完備した車で治安維持のため動き回り、不審者扱いするアラブ人を見つめる姿には、米国人のイスラム文化への無知、偏見、そして恐怖症(Islamophobia)といったものが見て取れる。
しかし、主人公がそうした行動に出るのには、もう1つ別の理由があった。ベトナム戦争で受けた傷に心身とも蝕まれていたのである。
ベトナム戦争退役軍人の抱える心の傷は、シルベスター・スタローンの当たり役ジョン・ランボーの例を挙げるまでもなく、1970年代から80年代にかけ、たびたび映画が扱ってきたテーマである。
いまからちょうど40年前の1973年3月29日、そんな泥沼の戦争に明け暮れていた南ベトナムから米軍は撤退を完了した(サイゴン陥落はその2年後)。
しかし、それは、米国の帰還兵ばかりでなく、南ベトナムの人々にとっても、平穏な生活を取り戻すことを意味することにはならなかった。
南北統一が成されると、北ベトナム政権に従順でない者は、処刑されたり、「再教育キャンプ」に送られるという憂き目に遭ったのだ。なかには10年以上収容所生活を送った者もいる。
都市部に暮らす商人たち(多くは華人、華僑)が中心となり難民化した人々は「ボートピープル」として海外へと向かったが、その中には、そうした人々も少なからず含まれていた。
貧相なボートで大海へと乗り出していった人々の半数は途中で力尽き、いずれの地にかたどり着いた者は80万人。その過半数は米国に移住したと言われている。