東日本大震災から2年が経った。メディアは連日、震災復興の特集を組んで被災地の実情を伝えた。がれきの山は片付けられ、企業は操業を再開し、学校も表面上は普通に授業を行っている。しかし、依然として仮設住宅で暮らしている被災者、家族がバラバラになったままの家庭が非常に多い。

 震災、津波、原発事故によって肉親や友人、自宅や職場を失い、心に深い傷を抱えている上に、復興の停滞により二重三重の苦しみが続いている。その実情を目の当たりにして、改めて「いま私に何ができるのか」と心に強く想った人は多いはずだ。

中央の復興ビジョンと地域の現場のギャップが埋まらないのはなぜか

東日本大震災発生から2年、陸前高田市で追悼式

岩手県陸前高田市で10日に行われた追悼式典〔AFPBB News

 震災復興の基本的な考え方として、将来の大津波に備えた安全な街づくり、地域の産業高度化の実現を目指す新たな産業基盤の構築といった大きなビジョンが掲げられている。東北3県を単純に元の姿に戻すのではなく、日本の将来モデルとなる地域経済社会を新たに創造することを目指していた。

 しかし、最近の報道によれば、各地域の現場では、大きなビジョンに向かう最初の段階で、行政面の規則と住民や企業の要望との間の溝が埋まらずに、身動きが取れなくなっている。防潮堤の建設を巡り合意形成ができないために街づくりが進められない、農地の転用規制が制約になって新たな産業基盤整備が停滞する、といった状況だ。

 震災復興の大きなビジョンは、中央省庁が一流の専門家の意見を集約して提示した。しかし、東北の被災地の現場では、そのビジョンを実際に実現する作業が進んでいない。

 国の政策を各地域できちんと実現していくには、各地域の実情や住民の要望に合わせて施策の中身を調整=カスタマイズする必要がある。震災以前、各市町村の行政組織は正常に機能し、地元住民の意見集約の仕組みなどもワークしていたはずである。その行政の土台が今回の大震災により、根底から崩れた。

 平時であれば国の施策を地域の実情に合わせてカスタマイズする機能は十分備えていても、これほどの緊急事態に自力で対処できるほど豊富な人材を持っている自治体はない。加えて、震災後に多くの住民が地域外に移転した。震災後の地域の実情と地元に残った住民の要望はいずれも震災前と大きく異なる。

 大きく変化した前提条件の上に住民の合意形成を図る仕組みの構築ができていない。これが国の施策を各地域の実情に合わせてカスタマイズすることを極めて困難にしている。これでは国の施策があっても地域の現場が動かない。震災復興が停滞するのは当然だ。