ニッケイ新聞 2013年2月9日
独裁政権時代の人権侵害を見直す真相究明委員会の聖州小委員会(アドリアーノ・ジョーゴ委員長=州議)が1月23日、同議会内で行われ、日高徳一さん(87、宮崎県)が1946年当時の日本移民に対する獄中での理不尽な扱い、特に社会政治警察(DOPS)が御真影や日の丸を踏ませたことなどの人権侵害に関して証言をし、ビデオ撮影され、今後の検討材料として記録された。
勝ち負け抗争の発火点は1946年正月にトッパンのクイン植民地で起きた日の丸事件だった。日本人会長の家で日の丸を掲揚して新年会を祝っていた時に警官が踏み込み、日の丸を無理やりおろして持ち去り、署内で汚れた靴を拭ったという。真偽を確かめるために日高さんら7人が警察署に向かうと、そのまま逮捕され20日間も拘留された。
「その間、一度も尋問がなかった。僕らがぶち込まれた監獄の向かいの部屋にはクイン植民地の人たちが入れられ、酷い拷問をうけて怪我をし、体中がアザだらけだった」と証言した。
日高さんは1946年6月2日の脇山大佐殺害事件主犯の一人として自首したあとDOPSに拘留され、脱出不可能と言われた監獄島アンシェッタに“島流し”された。
「僕は実際に罪を犯しているから、自分のことを弁護するつもりはない。でも僕のようなのは島送りされた約170人中のほんの一割、残り9割は何の罪もない勝ち組というだけの人。DOPSで踏み絵を拒否しただけで島送りにされた。国旗を踏まないこと、皇室を崇めることが罪なのかと問いたい」と強く訴えた。
1500年代末の日本ではキリシタン迫害のために踏み絵が考案された。その知識を持った一部同胞がDOPSにそれを吹き込んでやらせたのではとの推測を伝えた。
ジョーゴ委員長は「まったく聞いたことがない歴史だ。国旗を踏ませるとか、靴の汚れを拭くとか犯罪的行為だ。私もイタリア系だが枢軸国側移民の中でも日本移民が最も迫害されたに違いない。これは連邦レベルの委員会で図られるべき問題ではないか」との見解を示し、その場で関係者に電話をして手続きを進めた。『戦時下の日本移民の受難』(2011年、安良田済著)も参考資料として提出された。
小委員会側は5人が出席し、うちイヴァン・セイシャスさん(ジャーナリスト)から軍事政権時代に学生運動をした日系学生の調査を進めている件が説明され、「軍事政権に狙われ、今も行方不明の日系学生が5、6人もいる。彼らは民主主義のために軍事独裁政権と戦った英雄だ。ぜひ彼らの行為を歴史に正しく刻むためにコロニアも協力してほしい」と要請した。
勝ち負け抗争時の迫害や軍政時代に学生運動に関わった日系人に関して証言できる人は、奥原マリオ純さん(電話=11・95318・8682)まで連絡を。
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