緊迫度が増す一方の朝鮮半島情勢、ふらつく沖縄米軍基地移転問題、と国防の根本を考えさせられる事態が続いている。煮え切らない政治家には呆れるが、当の主権者たる国民そのものも対岸の火事のごとき感覚で眺めているように思えてならない。
日本は永世中立国を目指しているのか?
これが「平和ボケ」と呼ばれるものなのか。とにかく、日本は中国、ロシア、米国という核兵器を保有する国連安保理常任理事国という軍事政治大国に挟まれているという地政学的見地を持ったうえで、平和と軍事について真剣に考えていかなければ、と感じるばかりだ。
こうした状況になると、必ず引き合いに出されるのが中立国の発想である。現在、永世中立国として国際社会が正式に承認している国は意外に少なく、わずか3カ国にすぎない。スイス、オーストリア、そして1995年に承認されたばかりのトルクメニスタンである。
トルクメニスタンの承認は、19世紀から20世紀初めにかけ、英露の膨張合戦「グレートゲーム」の舞台となった中央アジアに位置し、帝政ロシアに支配されてからはソ連崩壊後やっと独立を取り戻したという歴史的経緯もあって、ロシアの影響力を回避するためとの解釈がなされてきた。
旧ソ連諸国では、街を歩いていると、よく警官らしき者に呼び止められる。パスポートの提示を要求されることも多いが、それが偽警官(もしくは悪徳警官)である可能性も少なからずある。そのため、「財布を見せろ」などと言われたら疑ってかからなければならない。
旧ソ連の中では比較的開放的なシルクロードの観光大国ウズベキスタンでさえそんな具合なのだが、その隣国トルクメニスタンともなるとそれだけでは済まない。
制限だらけの中立国、トルクメニスタン
ソ連内共和国時代からの長、サパトムラト・ニヤゾフ大統領の肖像写真や黄金像など個人崇拝をうかがわせるものが町中至る所にあり、観光客が写真を撮るのも制限だらけ。
博物館で必ずつけられる学芸員は栄光の歴史ばかりを説明するし、ニヤゾフ氏の主張をまとめた「ルーフナーマ」と呼ばれる書が国民すべての基本となっていることを聞けば、庶民たちは一体どんな生活をしているのか心配になってしまう。
しかし、石油、天然ガスが豊富なこともあって、資源欲しさにどの国も積極的に内政にまで口を出そうとしない。ただ、自由は少ないにしてもトルクメン人自身はそれなりに平和な生活を送っていることも事実であった。
結局、ロシア云々ということもあるが、“leave me alone!”(放っておいてくれ!)型の中立とも受け取れる国であったと言えよう。