民間出身では初の中国大使を務めた丹羽宇一郎氏が、月刊誌文芸春秋2月号で「日中外交の真実」と題し、独占手記を発表した。手記の中で、丹羽氏は2年半弱の駐中国日本大使勤務を振り返り、「尖閣に始まり尖閣で終わった」と感想を漏らす。

 悪化の一途を辿る日中関係について、「私のせいではない」という言葉は使わないものの、全体を通じてやや自己弁護的なトーンが感じられるのは「回顧録」や「独占手記」に特有の傾向なのかもしれない。

国益に対する深慮遠謀が感じられない発言の数々

大使公用車襲撃、玄葉外相「日中で意思疎通を」

北京の日本大使館を出る日本政府の公用車。丹羽大使時代には襲撃を受けて国旗を奪われる事件が発生した〔AFPBB News

 筆者は日中関係悪化の原因を彼に押しつけるつもりは毛頭ない。ただ、手記に書かれている事実を題材として、民間出身大使の是非をも含め、ここまで悪化した日中関係について総括する必要があると考える。

 丹羽氏は「脱官僚」「官僚バッシング」の風潮に乗り、2010年7月、民主党政権によって中国大使にノミネートされた。手記にもあるが、当時「民主党は素人に外交を任せるのか」といった批判が挙がった。

 これについて彼は、数々の政府の仕事の経験、つまり「経済諮問会議議員、地方分権改革推進委員会や総務省の独法(独立行政法人)評価委員会の委員長、税制調査会の委員」などを通じて国の重要政策に携わってきており、「日本が直面していた問題も把握していた」と述べ、だから問題ない(明確な言及はないが)というニュアンスで記述している。

 今後、同様な人事があり得ることを考えれば、これを好機として真摯に振り返ってみることも有益であろう。

 2012年は日中国交正常化40周年であり、本来なら日中友好の節目となるはずだったとしながらも、予想外の事件、つまり石原慎太郎前都知事による尖閣諸島購入計画発表があったと述べる。

 着任間もない2010年9月7日に起きた中国漁船と海上保安庁巡視船衝突事件でギクシャクした日中関係が好転する手ごたえがあったが、都の購入計画発表で期待は大きく裏切られたとする。

 都の購入計画が明らかになってから中国外交部も非常に神経質になっていたと言うが、その2カ月後、丹羽大使は「フィナンシャル・タイムズ」紙のインタビューに応じて「もし計画が実行されれば、日中関係にきわめて深刻な危機をもたらす」と述べている。

 ここで釈然としないのは、中国側が神経質になっているという認識があれば、プロの外交官ならこういう発言を公にするだろうか、しかも外国メディアを使って・・・という疑問である。

 氏の目的は何だったのだろう。大使ともなれば、片言隻句、一挙手一投足に至るまで意図があり、国益への深慮遠謀がなければならない。

 この発言により都に対し購入をやめさせようとしたのだろうか。もしそうであれば、国内の問題であり、アンダーテーブルで動くべきものである。まさかこの発言で中国側を宥めようとしたのでもあるまい。いずれにしても、この評論家的発言の意図が分からない。

 日本国内でも様々な批判が上がったが、都が公式に購入計画を発表した後であり、この発言は火に油を注ぐこととなった。

 結果として日中双方を後戻りできない状況に陥らせたという意味で、駐中国日本大使としては極めて不適切な発言であったと言える。素人の民間出身大使の負の側面が出たと言われてもやむを得まい。