12月9日放送の『やすトラダムス』(Kiss FM KOBEで毎週日曜24:00-25:00放送)は、ナビゲーターの元衆議院議員・中山正暉氏が北朝鮮問題や中台両岸関係の歴史などについて語った。
民主党政権からは、よど号の「よ」の字も出てこない
中山(正暉) 今日、私は万博公園にあるホテルで開催された、とある出版記念会に出席してきました。この公園は今から42年前の1970年に日本万国博覧会が開かれた場所です。
1970年の出来事で特に記憶に残っているのは、3月31日に田宮高麿を中心とする9人の赤軍派メンバーが日本航空351便「よど号」を乗っ取り、北朝鮮に亡命した「よど号ハイジャック事件」です。
当時10代、20代の若者だった犯人たちは「北朝鮮で軍事訓練を受け、再び日本へ戻って武装蜂起し、先頭に立って革命を起こす」という目的を持っていました。
よど号は最初、平壌ではなく韓国の金浦空港に着陸。韓国当局は北朝鮮兵の軍服を着て出迎えるなど、金浦空港を平壌の空港に見せかける偽装工作を行いましたが、実行犯の1人が偽装を見破り、最終的に4月3日に北朝鮮入りを果たします。
その後、日本から約20人の代表団が朴正煕・韓国元大統領を訪れましたが、誰一人として労いの言葉を述べる人はいませんでした。そこで同行していた私が「事件の時は大変お世話になりました」と伝えると、朴氏が「いえいえ」と日本語で返されたことを今も鮮明に覚えています。
私は後に平壌を訪問する機会があり、高麗ホテルでよど号グループと面会させてもらいましたが、既に5人が死亡し、4人しか生存していませんでした。2回目の平壌訪問では、訪朝団の団長として日本に帰ってくるよう説得を行いました。
彼らが帰国すれば北朝鮮の色々な情報を引き出せると思い、私は当時ずいぶんと粘り強く掛け合ったものです。しかし、事件から40年以上が経つ現在も、4人の実行犯は北朝鮮に留まっている。
先日、野田(佳彦)首相が北朝鮮との政府間協議を延期しましたが、今は、よど号の「よ」の字も聞かなくなってしまいました。政府には日本人拉致被害者はもちろん、よど号グループの早期帰国を実現し、東アジア情勢の不安定要因のひとつである北朝鮮について情報収集をしてほしいと思います。