中国と北朝鮮は歴史的に緊密な外交関係を保ってきた。1950年に中国は北朝鮮支援のため戦争に参加し、血で固められた友誼関係を築いた。(敬称略)
冷戦初期には中朝は、1961年の両国間の軍事同盟以外にも、マルクス・レーニン主義イデオロギーを共有しており、また朝鮮戦争間と戦後復興での中国の対北朝鮮支援もあり、両国関係は緊密であった。
北朝鮮を米軍との間の緩衝地帯と見なす中国
特に中国の指導者は北朝鮮を、韓国に駐留する米軍との緩衝地帯と見なしていた。さらに両国は分断国家としてのイデオロギーも共有していた。
中ソ対立が激しかった1963年に、周恩来は、北朝鮮との秘密会談で共産ブロック内での中国の孤立化に風穴を開け金日成の支持を得るため、1949年以来厳格な姿勢を取ってきた中朝国境の領土問題で柔軟な姿勢を取り北朝鮮の要求に応じるように、中国側代表団に指示した。
その後、中国の文化大革命と金日成に対する紅衛兵による批判が原因で、1968年3月から翌年3月の間、白頭山地区で中朝両軍の小規模な軍事衝突があった。
その間、中国は北朝鮮との国境を閉鎖していた。1970年11月に中国政府は北朝鮮への批判を止め、北朝鮮政府との関係改善を図った。70年代に入り両国関係は好転し、1970年1月、両国政府は鴨緑江と図們江の航行条約に署名した。
1970年代には中朝間では利害関係とイデオロギーが共有されていたことから、両国関係は数十年間にわたり友好関係が続くと見られていたが、80年代に入り、鄧小平が中国の指導者となり、改革開放政策を取り市場メカニズムを取り入れると両国関係は悪化し始めた。
1992年に中国が韓国と国交を回復すると中朝関係はさらに悪化した。孤立感を深めた北朝鮮は核開発を本格化させ国際的な圧力が強まった。これに反発した北朝鮮は、翌年核拡散防止条約(NPT)脱退を宣言するなど、朝鮮半島の緊張は高まった。
しかし、1994年に米朝枠組み合意が成立し北朝鮮の核疑惑をめぐる緊張が緩和されると、中朝間の公式的な関係も改善に向かった。
経済関係も2000年代に入り急速に緊密になった。他方では、北朝鮮の核開発疑惑が再び浮上し、2003年に北朝鮮は再度NPT脱退を宣言し、その後2006年には核実験を強行し、国連安保理決議に基づく厳しい経済制裁を受けることになった。