ロシアに、「征服せよ・東方を」という勇ましい名前の都市があります。さて、どこでしょうか?

 答えを探す前に少しだけ、帝政ロシアの東方進出に言及してみたいと思います。アタマン・エルマーク率いるコサック傭兵隊がウラル山脈を越え、ウラル以東のシビル汗国に進出したのは比較的新しく16世紀後半、イワン雷帝の時代です。

征服せよ・東方を

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ウラジオストクのAPEC会場に飾られたオブジェ〔AFPBB News

 コサック隊は毛皮を追って東進。そのわずか50年後にはベーリング海峡に到達。アラスカ進出後、さらに南下して、サンフランシスコ近郊にまで達しました。

 ロシア皇帝アレクサンドル2世は1867年、当時帝政ロシアの植民地であったアラスカを720万ドルで米国に売却。アラスカはロシアにとり赤字の植民地であり、帝政ロシアはクリミヤ戦争の賠償金支払いのため、米議会を買収してまでアラスカ販売工作をしたのです。

 当時米国では、なぜ無価値のアラスカをこのような大金を払って買い取ったのか問題となり、ときのハワード国務長官は「氷山買いの銭失い」と揶揄されています(その後アラスカに金鉱が発見され、宝の山となりました)。

 なお、この時の協定により、ベーリング海の西経169度を米国とロシアの境界線(1867年の「米露協定線」)と画定しました。

 つまり、ロシア最東端ラトマノフ島(大ダイオミード島)と米領クルーゼンシュテルン島(小ダイオミード島)間が米ロシア国境となり、現在に至っています。

 この境界線を挟み、米国とロシアはわずか3キロの距離を置いて対峙しています。

 ちなみに、ロシア皇帝の命を受け、デンマーク人探検家ベーリングが1728年の聖ダイオミードの日にこれらの島々を発見したので、“ダイオミード諸島”と命名されました。

 筆者は子供の頃から会社に入りロシア語を勉強するまで、極東最大の軍港、ウラジオストクの名は「ウラジオ・ストク」と信じてきました。ところが、そうではなかったのです。

 この街の名は「ウラジ・ボストーク」(正確に表記すれば「ヴラジー・ヴァストーク」)でした。語源は「ヴラジー」(征服せよ/ロシア語“征服する”の命令形)・「ヴァストーク」(東方)の2語から成り、文字通り“征服せよ・東方を”という意味になります。